偏らない強さ
先日、ピアニストのもりりんのブログに書かれていた競争するということ,浜松のピアノ奏者をご覧ください私は、競争は成長には欠かせないものだと思っています競争を嫌う人は競争を間違って使うか、自分が競争した場合に負けを認めたくないからではないでしょうか?競争のない社会、競争のない組織って存在するのか・・・?もっと良いものをもっとおいしいものをすべてがある意味競争だと思うのです子供でいえば競争とは相手を負かすことを目的としたものだけではない相手と競ってやる気を出し本気になることで思いがけない発見があり思いがけない力を発揮するそのきっかけでありその一つのツールだと考えている「さあおもちゃを片付けよう!ヨーイドン!」「ママとあそこまで競争だよ!ヨーイドン!」生活の中にあたりまえに成長に伴った競争がある競うから楽しいこともある競うからスピードがあがる競うから誰かの力を必要とする早くするために知恵をしぼるはずだ競争をせずに育った子供は競争だけではなく、評価されることや比べられる事が苦手だ塾だって学校だって順位が出るってことはそれは競うということ運動会で徒競争は1位2位の旗をださないとか手をつないでみんなで走ってゴールするとか学級委員長になれない子がかわいそうだと学級委員を学校からなくしたりマラソン大会の順位は自分で何位になるか予想を立ててその予想と結果の差で順位を決める学校もあるそれが必要だしそれが当然だと思う感覚がなぜ生まれたのか競争ではなくその部分に改善が必要なのだろう確かに競わないほうがよい場合もあるただ、それは崩壊したクラスや学校のこと普通に生活しているなら競って楽しく力を伸ばすほうがいい企業研修でいつも言うことがあります「評価されることに慣れてください」人は多かれ少なかれ評価の中で生活しているやさしそうに見える怖そうに見える見た目の評価は戸を立てることはできない評価されるのを嫌うから同じ職場の人へもフィードバックをしないすれば自分もされるからなんでそんなに弱っちい考えしかできないんだ?!そう思ってもそれは今までのその人の人生で刷り込んできた考え方と行動の癖であり特徴だ昨日は稲葉製網の専務とちょっと電話で話をしましたお題は「試す」ということについてです私たちは「試されたいよねー!」「うん!試されるから成長するんだし、 試されるから応えたいと思うんだよね」「そうそう、力のある人に試されたいって思うのは当たり前だし 経営者として社員を試すってことはそれだけ、 社員の可能性に期待し、応えてほしいと思うからだよね」そうなんですまったくそうだと思います期待しているしもっと伸びる、伸ばしてあげたいと思うからですなのになぜそれが?になる人がいるのかそれは文字だけで、字ずらだけで判断するからですその言葉にはその文章には深い経営者の思いが入っているそれがわかるから私はなんの不思議も疑問もない人は時々文字だけで判断しその人を非難することがある文字は事実、でもその文字の中にはもっと深い真実があるとしたらそれを知らずに「その考えは違う」と答えることはどうでしょうか・・・