「粗探しばかりしている」のは誰か
立憲・石垣のりこ議員の「人民」投稿を問題視するトンチンカン 歴代首相も国会答弁で発言《日本のような民主主義国家では、馴染まない言葉である》立憲民主党の石垣のりこ参院議員に対し、ネット上でこんな声が上がっている。きっかけは、石垣氏が2日の自身のツイッターにこう投稿したことだ。《公文書を疎かにすることは民主主義を毀損するのと同じこと。主権者たる人民を蔑ろにする行為に対して、怒って然るべしです》この「人民」と言う言葉に一部の保守派が反応。~SNS上では、《学級会で訳の分からないことを自己主張する委員長》《この人の根底の価値観というか世界観というか思想というか。そんなものを感じさせて恐怖すら感じる》と“袋叩き”状態となっているのだが、この「人民」という言葉を使うことは果たして悪いことなのか。例えば、米国第16代大統領のエブラハム・リンカーンが1863年11月に行なった、有名なゲティズバーグ演説にはこうある。「人民の、人民による、人民のための政治」保守派は石垣発言について、《日本のような民主主義国家では、馴染まない言葉》としているが、リンカーンの言葉は、「民主主義の精神を表現した言葉」として、小学生でも知っている名言だろう。さらに言えば、故・中曽根康弘元首相は1987年4月28日の参院予算委で、こう答弁している。(以下略)---この報道があった時、私も真っ先にリンカーンの演説を思い浮かべました。現実には、もちろんリンカーンの演説は日本語ではありませんから"government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth. "という一節のpeopleという単語に人民という訳語を当てているだけです。ただし、この「人民の、人民による、人民のための政治」という翻訳は、おこならぬ米国の国家機関であるアメリカンセンターが使用しているものでもあります。立憲民主党(やその他左派系とされる野党)に対するありがちな批判として、「批判ばかり」「揚げ足取りばかり」というものがあります。しかし、野党という立場の基本的な仕事は政府与党の監視であるはずです。「建設的提案」などと言う人もいますが、勿論それも大事でしょうが、野党が与党の批判をしなくなったらおしまいです。それはもう、野党ではなく与党の衛星政党に過ぎません。実際のところ、立憲民主党が自公政権に何でも反対しているわけではありません。自衛隊は憲法違反だから解散せよ、とは言っていない。日米安保破棄とも言っていない。根本的には、自公政権とあまり変わらない安全保障政策しか提示していません。また、実際のところ国会での様々な法案にも、大半に賛成しています(共産党ですら、各種法案等の半分以上に賛成していたはずです)。そして、翻ってみれば、民主党政権時代の野党自民党の「揚げ足取り」ぶりも凄まじいものがありました。自衛隊を「暴力機関」と呼んだことへの反発、国会質問で大臣に歴代天皇の名を言えるかと質問した議員もいれば、首相の、議員にもなる前の遠い昔の政治姿勢を問うた議員もいました。そういうことをやっていた人たち、それに追随して「そうだ、民主党政権はけしからぬ」と叫んでいた人たちが、今は立憲民主党に対して「揚げ足取り」「粗探し」はけしからぬと非難した挙げ句、こうやって立憲民主党の議員に対しては一生懸命揚げ足取り、粗探しをやっている状態です。そして、立憲民主党が建設的な提案としてLGBTに対する立法を提起しても、やっぱりそれを非難するわけです。わたしも、立憲民主党には不満もあれば異論も多々ありますが、もはや箸を上げても非難する、下ろしても非難する、そんな人たちの作る空気に踊らされて、ネット空間での立憲民主党叩きが常態化していますが、その進む先に明るい将来が見えるかというと、なにも見えないようにしか、私には思えません。