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テーマ:政治について(19816)
カテゴリ:政治
「公明党に対する嫌悪感」を選挙現場で実感…自民党と公明党の“仲違い”が起きた原因
自民党と公明党は1999年から連立を組み、選挙協力をしてきました。その選挙協力は、特に小選挙区制を採用している衆議院議員選挙の候補者調整で威力を発揮しています。 ~東京28区を巡って自民党と公明党の意見が対立。最終的に、東京28区には自民党の候補者が擁立されることになりそうですが、それで腹の虫がおさまらないのが公明党です。 公明党は、次の衆院選で東京都の小選挙区限定ながらも自民党の候補者に推薦を出さないと明言。この方針は選挙協力の解消を意味します。この決定は永田町を駆け巡り、自民党と公明党の関係に亀裂が入ったと囁かれています。自民党と公明党の間に何が起きたのでしょうか?~ 2012年~以降、自民党と公明党は連立政権を継続してきたわけですが、必ずしも自民党支持者が公明党の選挙協力を好ましく思っていたわけではありません。そうした自民党支持者の公明党に対する嫌悪感は、選挙現場に行くと実感できます。自民党は、2012年の衆院選から選挙戦のラスト街頭演説は必ず秋葉原駅前で実施してきました。 ~秋葉原駅前では連立関係にある公明党の国会議員や都議会議員なども駆けつけます。~しかし、集まった自民党支持者は冷ややかです。公明党の議員がマイクを握ると、自民党支持者からは「公明党はいらない!」「創価学会は帰れ!」といったネガティブな声が飛びます。 ~自民党支持者は嫌悪感を隠しきれないほど、公明党・創価学会に対して不信感・嫌悪感を抱いているのです。その嫌悪感は、第二次安倍政権以降からあからさまになっていきました。 特に、2014年の衆院選ラスト演説は異様でした。安倍晋三総裁と盟友の麻生太郎財務大臣が登壇した選挙カーには、「比例代表も自民党」という垂れ幕がかかっていたのです。小選挙区で自民党に協力する見返りとして、公明党は自民党支持者から比例票を入れてもらっていたわけですが、この垂れ幕の文言はその協力関係を壊しかねないものでした。 それでも自民党と公明党の選挙協力が威力を発揮しているうちは、そうした自民党支持者の声や垂れ幕の文言は不問にされていました。 大きな転機になったのは、大阪での公明党の立ち位置が変化したことです。~公明党は「2020年の大阪市を廃止し特別区を設置することについての投票、いわゆる大阪都構想を推進する立場を取りました。大阪都構想は維新が一丁目一番地に掲げる政策ですが、公明党は推進する見返りとして「次の衆議院選では公明党候補が出馬する小選挙区に維新が対抗馬を立てない」という密約を交わしていました。(以下略) --- 三宅島の鳥写真は次回に回します。 自民党も公明党も大っ嫌いな私としては、自公連立の破綻は大歓迎です。引用記事にあるように、自民党と公明党の間に、もはや修復困難なくらいのわだかまりがあることも事実のようです。が、少なくとも当面の間、この破綻は東京での選挙協力解消という以上の事態にまでは発展しそうにありません。 対立と言えば、自民党内でも修復困難なくらいの内部対立はいっぱいあります。それでも自民党が分裂したりはしないわけです。 引用記事はヤフーニュースなので、そのコメント欄にはネトウヨ系のコメントがたくさんの「いいね」をもらっています。そこには確かに、公明党への憎悪が満ち溢れていますが、一番笑えるのは、「公明党の力を借りなければ落選するような人は落選してもらって結構」とか「選挙協力なんて邪道だ、各党候補者調整などせずに戦うべき」といった趣旨の意見です。 いや、私も自公に対してはそうしてほしいと願っていますよ、理由はもちろん自公が敗北してほしいからですが。 当たり前の話ですけど、政治家、立候補者というのは、当選のために全力を尽くすものです。落選のために全力を尽くす候補者なんてものはいません、とりわけ自民党には。野党の場合、本人自身は落選前提という立候補はありますが、それもあくまでも所属党派の勝利のためという前提です。 そうであれば、少しでも多くの票が欲しい、協力してくれる党派があるなら大歓迎、というのは、政治家としての生存本能みたいなものでしょう。 そもそも、程度の差はあれど、政治の基本は選択と集中です。国民の意見というのは、本来は日本の総人口の分だけあるはずです。しかしその意見を代表して国会に議席を持つ政党は、十指に満ちません。主張の異なる政党同士の協力なんておかしいと言い出せば、高市早苗や杉田水脈と、岸田首相、河野太郎が一つの党にまとまっていること自体がおかしいのではないでしょうか。 安倍政権時代、選挙最終日に秋葉原前に集結していた連中、あるいはヤフコメにいる連中もそうですが、彼らは自民党支持層の中でもとりわけ「保守層」(ネトウヨ層)に偏っており、自民党支持者や、まして自民党に投票する層の平均ではありません。彼らの意向のままに公明党と袂を分かって選挙に勝てる、と思うほどには、候補者たちは脳天気ではないでしょう。 結局、すべての問題は小選挙区制の弊害に行き着くのです。小選挙区制においては、細かい主張の違いごとに袂を分かったら、当選などできません。「選択と集中」のインセンティブが、他の選挙制度より強く働く。遅ればせながら、野党側もそれに気づいたから、2015年以降野党共闘が成立したわけです。 私も、小選挙区制は弊害ばかりの最悪の選挙制度だと思っています(そのことは、過去何度も当ブログで書いてきました)。その最悪の選挙制度の元で勝利するにはこれしかない、というやり方が自公連立であり野党共闘です。 それに、小選挙区制のままで選挙協力なしの各党ガチンコ勝負をやった場合、民意の反映という意味で大きな問題が生じます。 すでに先日の衆議院補選でいくつかの選挙区で起こっていますが、有力候補が3人以上で争うと、当選者の得票率は5割を切ります。千葉5区の当選者の得票率はわずか31%でした。ということは残り69%の票は死票になったわけです。この状態が日本全国大半の選挙区で起こる。 そうなってしまったら、選挙はもはや、政治ショーの一種ではあっても、民意の反映でも民主主義の発露でもないものになってしまいます。 繰り返しますが、諸悪の根元は小選挙区制であり、比例代表制か、せめて中選挙区制ならば、そんなおかしなことにはなりません。ただ、次善の策ではあれ、各党が選挙協力を行うことで、当選ラインが得票率5割かそれに近いところまで上がれば、「まだしも多少はマシ」ではあるのです(もちろん、得票率49%で負けたら投票者の声は無視でいい、とは思いませんが、それでも6割7割が無視されるよりはまだマシです)。 自公連立は、私の主義主張の上ではまったく腹立たしい限りで一刻も早く下野してほしいとは思いますが、個人の政治的主張は措いて、選挙協力によって当選者の得票ラインが上がることで、より多くの票が議席に反映されるのは、例えそれが選択の余地なく嫌々投じた票であっても、死票が大幅に増えることに比べれば、民主主義の理念上は正しいことです。 選挙制度を比例区のみ、あるいは中選挙区制にした上でなら、選挙共闘など邪道、というのは理解できます。しかし、小選挙区制のままなのに選挙共闘なんかするな、というのは、民意の反映、民主主義の理念を破綻させる上に、そんなことを言ったところで政治家が従う訳がないのです。 それは自民党、公明党に対する好悪とは別次元の問題です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.31 19:00:07
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