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カテゴリ:神社
今、南朝の流れが現在きている私です。明日は奈良に行ってきます♪
その足掛けとなった 雛鶴神社をご紹介します。 まず歴史をご紹介。 後醍醐天皇の皇子、 大塔宮護良(もりなが)親王は、南北朝対立の中、足利尊氏に捕らえられ、鎌倉二階堂谷の土牢に幽閉された末、足利直義の臣、淵辺義博の手によって殺害されました。 護良親王幽閉の折、寵妃として仕えていた雛鶴姫は、その年の夏、亡き親王の首級をいだいて従者とともに鎌倉を逃れ、甲州街道を通って逃げていきました。 雛鶴姫は、その時、すでに親王の児を身籠もっており、途中、相州柏尾の四ッ杭の井戸で首級を浄め成正寺で供養した後、秋山村無生野の里にたどりついた雛鶴姫は、そこで王子を産みおますが、不運にも王子ともども命を落としてしまいました。 雛鶴神社へと向かった私たちが、着いたのは 「雛鶴姫のお墓」山梨県にあります。 とても草木のいい匂いがする場所です。 スギの林の中を通って、川を渡っていきます。 ここが 雛鶴姫のお墓。すごく清清しくて、神社みたいです。 地元の方の手入れも綺麗にされていました。 ここにご挨拶したのち「雛鶴神社」へ。 この奥に 小さな祠があります。 あと、 大塔宮護良親王とその皇子綴連王のお墓です。 このあと、大塔宮護良親王の首級が祀られいる神社へと向かいました。 雛鶴姫物語 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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