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詩誌AVENUE【アヴェニュー】~大通りを歩こう~

詩誌AVENUE【アヴェニュー】~大通りを歩こう~

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2016年01月19日
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  「──ふふん、これだな、必要がオノレ・シュブラックを、またたくひまに脱衣せしめた場合っていうのは。どうやらこれで彼の秘密がわかって来たような気がする」と、わたしは考えたものだった。   

(ギヨーム・アポリネール『オノレ・シュブラックの消滅』青柳瑞穂訳)

  シプリアーノは、太古の薄明を自分のまわりにめぐらしつづけていた。

(D・H・ロレンス『翼ある蛇』下・20、宮西豊逸訳)

  フラムはヨークに答えるひまを与えなかった。こめかみを指でとんとんと叩きながら話しつづける。「記憶に頼るんですよ。昼間のうちに川の姿を憶えてしまうんですよ。隅から隅まで。あらゆる曲がり角、川岸のあらゆる建物、あらゆる木材置場、深みに浅瀬、すれちがう場所、なにもかもを。われわれは知識によって船を操るんです、ヨーク船長。見えたものによってではなくね。しかし、記憶するためにはまず見なければなりません。そして夜では、はっきり見ることはできないんですよ」

(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』8、増田まもる訳)

  それからナポレオンは眠りに入った。

(サンドバーグ『統計』安藤一郎訳)

 
  ところがだ、その影がゆうべ、このリチャードの魂をふるえ上がらせたのだ、愚かなリッチモンドの率いる武装兵一万騎が現実に立ち向ってくるのより恐ろしかった。   

(シェイクスピア『リチャード三世』第五幕・第三場、木下順二訳)

  リアの影法師さ。

(シェイクスピア『リア王』第一幕・第四場、野島秀勝訳)

  ああ、ハムレット、もう何も言わないで。

(シェイクスピア『ハムレット』第三幕・第四場、野島秀勝訳)

  アイテルは悲しかった。だが、それは楽しい悲しさだった。

(ノーマン・メイラー『鹿の園』第六部・28、山西英一訳)

  ラムスタンはグリファに惹かれると同時に、それを憎んでいた。今はグリファが両親とおじの声を使ったことで、彼らまで憎らしくなった。

(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』26、宇佐川晶子訳)

  レイロラ・ラヴェアの教えでは、人生のバランスを獲得すれば──ありあまる幸運を完全に分かちあい、すべての不運が片づいて──完璧に単純な人生がのこる。オボロ・ヒカリがぼくたちにいおうとしていたのは、それなんだ。ぼくたちが来るまで、彼の人生は完璧に単純に進行していた。ところが、こうしてぼくたちが来たことで、彼は突然バランスを崩された。それはいいことだ。なぜなら、これでヒカリは、完璧な単純さをとりもどす手段をもとめて苦闘することになるからさ。彼は進んで他者の影響を受けようとするだろう。

(オースン・スコット・カード『エンダーの子どもたち』上・4、田中一江訳)

  まあ、何が起こるにせよ、なかなかおもしろい旅行になりそうだった。知らない人々に会え、知らないものや知らない場所を見ることができる。それがドリーと関わりあいになった最大の利点のひとつだ。人生とはほとんどいつもおもしろいものだ。

(タビサ・キング『スモール・ワールド』5、みき 遙訳)

 
  「(…)これじゃ台所の雑巾にも劣り、汚れた脱脂綿にも劣る。実際、ぼくはぼく自身と何の関係もないじゃないか」それゆえ彼にはどうしても、こんな時刻にこんな雨の中をベルト・トレパに連れ添っている彼にはどうしても、すべての光がひとつひとつ消えてゆく大きな建物の中で自分が最後に消えようとしている光であるかのような感じがいつまでも消えやらず、彼はなおも考えていた、自分はこれとは違う、どこかで自分が自分を待っているようだ、ヒステリー性の、おそらくは色情狂の老女を引っぱってカルチエ・ラタンを歩いているこの自分はせいぜい第二の自分(ドツペルゲンガー)にすぎず、もう一人の自分、もう一人のほうは……   

(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・23、土岐恒二訳)

  人は誰でもパスワードに保護された、自分だけが理解できる隠れた文脈の中で生きている──ハモンドのようなやつが現われて暗号を破り、壁を飛び越え、中で怯えて縮こまっている本人の姿を暴き出してしまわない限り。

(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第2部・13、嶋田洋一訳)

  コスタキは空を見上げた。山間の故郷では星は降るように輝いていた。だがここでは、ガス灯と霧と分厚い雨雲が、夜の千の目を奪っている。

(キム・ニューマン『ドラキュラ紀元』15、梶元靖子訳)

  シルヴァニアンはまた、自分の怪物のようなエゴも心得ていた。ほかの強い心の持主と同じく、彼も決して無軌道ではなかったが、感情におぼれこんでしまうのだった。感情の力学がどう働くか、よく心得ているくせに、自分で自分の感情を操作することはできなかった。時には、肉体が荒れ狂い、叫び廻っているのに、彼の直観は恐ろしいほど、それを軽蔑して見守っていた。

(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』25、藤井かよ訳)

  これがヒーコフなら、病院の物音をたのしんだことだろう。深い闇の奥から聞こえる恐ろしい苦痛のうめき。怒りと空腹を訴える乳児の明るい泣き声。夜の仲間のこうした物音には、母音推移がない。

(ハーヴェイ・ジェイコブズ『グラックの卵』浅倉久志訳)

 
  事務長のジョナサン・ジェファーズは、金縁眼鏡をかけ、茶色の髪をぴっちりなでつけて、飾りボタンのついた深靴をはいたやさ男だったが、計算と取引に関してはすご腕だった。なにひとつ見落とさず、売買契約の際はじつにしぶとく、チェスを指すときはさらにしぶとい男なのだ。   

(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』4、増田まもる訳)

  「困難なことが魅力的なのは」と、チョークは言った。「それが世界の意味をがらりと変えてしまうからだよ」

(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』4、三田村 裕訳)

  世俗的な嘘がどうして精神により高度なビジョンをもたらすことができるのか、ルーにはおぼろげに理解できた。芝居や小説は比喩を使ってそれを行っている。そして比喩的な意味としては、今度のハプニングは、単なる事実の達成を期待する文学的叙述より、精神的に真実の本質に近いビジョンを世界に提供するだろう。

(ノーマン・スピンラッド『星々からの歌』デウス・エクス・マーキナ、宇佐川晶子訳)

  スザンナという名はどんな女性にもふさわしくない。パーブロはまちがいなくパーブロで、独自のものを持っていた。いまは不安そうに前かがみになって椅子に腰かけている。しかし、人殺しには見えない。われわれはみんなそうだ。

(マイクル・コニイ『カリスマ』9、那岐 大訳)

 
  「いやあ、これは本当に驚いたなあ」、とギョームは言った。   

(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』6、菅野昭正訳)

  彼は土地使用料を扱う担当者に任命され、その遊園地を目にするたびにロビンのことをつい思い出し、ロビンに会うたびについカーニヴァルのことを思い出すようになってしまった。

(シオドア・スタージョン『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』3、若島 正訳)

  スミザーズさん、二つの悪をお選びなさい

(ウォルター・デ・ラ・メア『シートンのおばさん』大西尹明訳)

    「聖人の群れに加えられるか否かは」ラドルファス院長は頭を高々ともたげ、語りかけている会衆のほうは見ずに、アーチ形の天井に視線を向けて言った。「われわれの理解しておるいかなる基準によっても決せられるものではない。聖人の群れが、罪を犯したことのない人びとからのみなるということはありえない。なぜなら肉体をもつ者のうち、一人だけを除き、ただの一度も罪を犯したことがないといえる者はおらぬからである。   

(E・ピーターズ『門前通りのカラス』11、岡 達子訳)

  しかしエルグ・ダールグレンは心の底ではそうではないことを知っていた。そして何か別のことを心待ちにしていたのだった。傷つきやすいものへの一瞥、女王も近づけない、彼が”自我”と名づけた本性への。

(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』26、藤井かよ訳)

  フェリックスはあえぎながら木の根元に横たわった。眩暈がしたし、すこし吐き気がした。自分の大腿骨の残像が、この世のものならぬ紫色に輝きながら目のまえに漂っていた。「ミスター・ラビットに会いたい」フェリックスは電話に向かってそうつぶやいたが、答えはなかった。少年は泣いた。

(チャールズ・ストロス『シンギュラリティ・スカイ』外交行為、金子 浩訳)

  グライアンは空を見上げた──太陽はまだ高く、木々のあいだの熱い空気は動かしがたいように思えた。

(クリストファー・プリースト『火葬』古沢嘉通訳)

  ジャーブはそう感じる、グロールもアイネンもそう感じる、それぞれが別々の心の中で。

(ホリア・アラーマ『アイクサよ永遠なれ』4、住谷春也訳)

  木曜日の午後、ロズは少しの安堵と少なからざる愛惜の念をもって、アイリスを送り出した。何はともあれアイリスは、独り暮らしが情緒的、精神的によくないことをロズに示していったのだ。結局のところ、一人の人間が考えることには限界があり、その考えが他者の意見で修正されることなく募(つの)っていったとき、強迫観念になるのだ。

(ミネット・ウォルターズ『女彫刻家』8、成川裕子訳)

  部屋にふたたび沈黙が訪れ、ジェフズ氏の視線がそこをさまよっているうちに、ようやくハモンド夫人の表情をとらえた。その顔はゆっくりと左右に揺れていた。ハモンド夫人が頭をふっていたからだ。「知らなかった」とハモンド夫人は言っていた。夫人の頭は揺れるのをやめた。夫人の姿はまるで彫刻のようだった。

(ウィリアム・トレヴァー『テーブル』若島 正訳)

 
  スタンダールは私の生涯における最も美しい偶然の一つだといえる。──なぜなら、私の生涯において画期的なことはすべて、偶然が私に投げて寄越したのであって、決して誰かの推薦によるのではない。   

(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくも怜悧なのか・三、西尾幹二訳)

  一瞬、その惑星の名前を思い出しそうになる。だが記憶は、形をとる直前にからかうように消え去り、サイレンスは嫌悪に顔をゆがめた。

(メリッサ・スコット『地球航路』3、梶元靖子訳)

  ニックはこの一瞬のうちに、永遠の美の煌(きら)めきを見た──無邪気に大笑いしているフェイはなんと愛らしいのだろう。卵形の洞窟の中で力いっぱい弓なりになった舌も、ピンクのうねのある口蓋も、全部まる見えになるほど大きな口をあけて笑っている。探るのに一生かかりそうな奥深い心の底の息をのむような暗闇に、天の贈りものともいうべきつかのまの光があったのだ──偶然のいたずらでほんの一瞬かいま見えた美しさが、長年にわたって磨きぬかれた巧まざる女の計算を覆い隠し、彼女をよりいっそうミステリアスに変身させてしまうとは。

(グレゴリイ・ベンフォード『相対論的効果』小野田和子訳)

 
  クロネッカーの鉄則である《構成なしには、存在もない》以来、純粋数学者のなかには構成的でない存在定理にポアンカレの時代以上に熱心でないものもいる。しかし数学を利用するものにとっては、細部がどうなっているかということが、研究を進めていくうえにどうしても必要である。   

(E・T・ベル『数学をつくった人びと III』28、田中 勇・銀林 浩訳)

  カールはズボンのポケットから紙幣を半分引っぱり出していた…… 所長はロッカーや保管箱がずらりと立ち並ぶそばに立っていた。彼はカールを見た。その病気の動物のような目は光を失って、奥のほうで死にかけ、絶望の恐怖が死の表情をうつし出していた。花のかおりに包まれて、ポケットから紙幣を半分出しかけたとき、弱さがカールを襲って、その呼吸を止め、血の流れをさえぎった。彼は動かない一つの黒点のほうに勢いよく回転していく巨大な円錐体の中にいた。

(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』ホセリト、鮎川信夫訳)

  それでレオは感じるのか? うん、エロスが知っていることだけを感じている。

(ジェイムズ・メリル『イーフレイムの書』N、志村正雄訳)

  サムはもっとずっと重要なことを考えなければならなかった。しかし、真に重要なことは、無意識によって最もよく識別されるものだ。そして、この考えを送り出したのは、この無意識であったにちがいない。初めてかれは理解した。真に理解した。脳から足の先までの、体中の細胞で理解した。リヴィは変ってしまったと。

(フィリップ・ホセ・ファーマー『わが夢のリバーボート』26、岡部宏之訳)

 
  あなたの潜在意識よ、ミューシャ! なにかの記憶だったのよ!   

(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『最後の午後に』浅倉久志訳)

  ジャスティンは、自分はここには一度も来たことがないという確信めいた印象をもった。それがなにかの意味をもつということではないけれど。

(デニス・ダンヴァーズ『天界を翔ける夢』11、川副智子訳)

  ハビエルにそのことを話そうと思い、振り返ってみると、あんたは一人ぼっちなのに気がついた。ハビエルをどこかに置いてきてしまったのであった。あんたはいま自分がどこにいるのか知りたかった。大声で叫んだが、声はどこにも届かず、自分の頭の上で堂々巡りをし、また自分の唇に戻ってくるかのようであった。さらに谷に分け入って行けば完全に迷ってしまうだろうと思い、山の見晴らしのきく所まで登り、位置を確かめ、遙かに道路を見極めて、そこに向かって下りて行くことにした。

(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

  「いや、沈黙というものは、そのまわりにある言葉によってしか存在しないものなんですよ、イレーヌ。人生はすべてそういうものですよ……僕たちの人生のどんな瞬間であろうと、僕たちのなかには、発散されることを必要とする力があるものなんです」、彼は勢いこんでそう話しつづけた、「どんな欲求でも、もしそれに逆らうものがあれば、とてつもない強さにまで高まるかもしれない」

(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』9、菅野昭正訳)

  鋭い観察眼の持ち主であるエミーリオは、老母のとまどいがすべて見せかけであり、アンジョリーナがすぐには帰宅しないのを知っているはずだと完璧に見抜いた。しかし、いつものように、彼の観察力はあまり役に立たなかった。

(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』11、堤 康徳訳)

  さあ、アンリ、ロジーヌのところへ行くといいわ。私の大嫌いなロジーヌの腕に飛びこむといいわ。そうすればどんなに私も嬉しいか。だって、あなたの愛は、女の人生に起こりうる、最悪の不幸だもの。もしその女が幸せなら、あなたはその幸せを取りあげる。もしその女が健康なら、その健康を損なわせる。その女があなたを愛せば愛すほど、あなたはつらくあたり、野蛮にふるまう。その女が「大好きよ」とあなたに言った瞬間から、もうお決まりのことが始まるの。つまり、その女が耐えられなくなるまで痛めつけるのよ。

(クレマンティーヌ・キュリアルの書簡、スタンダール宛、一八二四年七月四日付、松本百合子訳)

  ナポレオンは死の直前、ウェリントンと話がしたいと願った。ローズヴェルトに会いたいという、常軌を逸したヒトラーの懇願。体から血を流しながら、一瞬でいいからブルータスと言葉を交わしたいと願ったシーザーのいまわのきわの情熱。 自分を破滅させた相手の胸にはなにがあるか?

(オースン・スコット・カード『キャピトルの物語』第一部・4、大森 望訳)

  ほんのちょっと前に、わたしはアギアに、セクラの死から受けた悲しみの心情を吐露したばかりだった。今や、これらの新しい懸念がそれに取って代わると、わたしは実際に、人が酸っぱいワインを地面に吐き出すように、それを吐き出してしまったと悟った。悲しみの言語(ランゲージ)を使うことによって、わたしは当分の間、みずからの悲しみを忘れ去った──言葉の魔力は非常に強いので、われわれを狂わせ、破滅させかねない激情のすべてを、制御可能なもの(、、)に弱めてくれるのである。

(ジーン・ウルフ『拷問者の影』24、岡部宏之訳)

  リシュリューとライヒプラッツはまったく同じ意味──〈豊かなる場所〉をあらわすことばであることを知って愕然とした。

(スタニスワフ・レム『泰平ヨンの航星日記』第二十回の旅、深見 弾訳)

 
  そして、眠り(ことによったら死だったかもしれない)が目蓋を引っぱっている間、わたしは傷を探して体じゅうをゆっくりと手探りしながら、まるで他人事のように、おれは服も金もなくてどうして生きていけばよいのだろうか、パリーモン師がくれた剣と外套をなくしたことを、師に対してどのように申し開きしたらよいのだろうかと、思案していた。   

(ジーン・ウルフ『拷問者の影』28、岡部宏之訳)

 
  「ポール」と彼女はもう一度わたしの名を呼んだ。それは新しいわたしにも古いわたしにも手の届かない、いや、わたしたちを形作った長官たちの目論見も手の届かない、彼女の心の奥底からのせつない希望の叫びだった。わたしは彼女の手をとっていった。   

(コードウェイナー・スミス『アルファ・ラルファ大通り』浅倉久志訳)

  「でも」と彼はブルーノに言った。「もうぼくは以前のぼくではなかったんです。そして、二度ともとのぼくに戻ることはないでしょう」

(サバト『英雄たちと墓』第I部・1、安藤哲行訳)

  アウグスティヌスは、『三位一体論』第九巻において、「われわれが神を知るとき、われわれのうちには何らかの神の類似性が生ずる」といっている。

(トマス・アクィナス『神学大全』第一部・第一二問・第二項、山田 晶訳)

  「誰もすんなり退場なんてできないのよ」ローラが静かに言った。「人生っていうのは、そういうふうにはできてないの」

(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第1部・6、嶋田洋一訳)

  おばさんは食卓の上座に、シートンは末座に、そしてぼくは、広々としたダマスコ織りのテーブル・クロスを前にして二人の中間に坐っていた。それは古くてやや狭い食堂で、窓は広く開いているので、芝生の庭とすばらしい懸崖(けんがい)作りのしおれかけた薔薇の花とが見えた。おばさんの肘かけ椅子はこの窓のほうに向いていたので、薔薇色に反射する光が、おばさんの黄色い顔やシートンのチョコレート色の目にたっぷりと照りつけていた。

(ウォルター・デ・ラ・メア『シートンのおばさん』大西尹明訳)

  ボビー・ボーイはゆっくりとぼうっとしたような動き方で、エディーのほうをふり返った。手にしたディスペンサーからアンプルを押しだして、鼻の下でぽんと割り、ふかく息を吸いこんだ。顔が細長く伸びるように見えた。

(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第四部・14、小川 隆訳)

  あとには、ハモンドとわたしだけが、われわれの「神秘」とともにとり残された。

(フィッツジェイムズ・オブライエン『あれは何だったか?』橋本福夫訳)

  それからミッシャ・エルマンの音楽会に行った。二時間の音楽の波が彼の鼓膜を打った。音楽は男のうちにある何かを洗い落した。音楽は彼の頭と心臓の中の何かをぶち壊(こわ)して新しいものを築いた。彼はそのロシア系ユダヤ人の若い提琴家(ヴアイオリニスト)にたいする五度のアンコールに、自分も加わって手をたたいた。外に出たときには、歩道を踏む踵(かかと)は新しい道に向うようだった。

(サンドバーグ『沐浴』安藤一郎訳)

 
  女の声が、背後から飛んだ。サイレンスはふりかえった。地獄のかけらをかかえているため、あまりはやく動けない。〈無形相〉の力がいそいでつくられたバリアにあたり、地獄がシューシューと音を立てる。あらゆる色彩を秘めながらいかなる色でもない、目を焼くような円盤から、火花があがり、またおちてくる。   

(メリッサ・スコット『地球航路』7、梶元靖子訳)

  き これからは絵に取り組む長い道程(ギヤラリー)を、一人きりでなく、誰かと腕を組んで歩けるのかもしれない──とても奇妙でわくわくする気持ちだ──そう考えながら、リリーは絵具箱の留め金をいつも以上にきっちりと閉めた。その留め金の小さな音は、目には見えない輪の中に、絵具箱も、芝生も、バンクス氏も、そして傍らを走り抜けたおてんば娘のキャムさえも、永遠に包み込んでしまうように思えた。

(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第一部・9、御輿哲也訳)

  一台の車というものは、ロッティがいくら呟いてみせたり不服を言ってみせたりしたところで、しょせん理解できないような、一つの生き方を表しているのだった。

(トマス・M・ディッシュ『334』334・第三部・21、増田まもる訳)

  フィリッパはパセリを少し摘んで彼にプレゼントした。セントポーリアのお返しができてうれしかった。お返しをすれば、母も自分も彼に借りを感じる必要はない。保護司はパセリを受け取ると、自分のハンカチを台所の流しで初め湯で洗い、次に水でゆすいで、それでパセリを丁寧に包んだ。指のずんぐりした、大きな手だった。その手を静かに、さり気なく使う。

(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第二部・11、青木久恵訳)

 
  シャン。セティアン人はこう言っている、チャーテン場においては、深いリズム、究極の波動分子の振動以外なにものもない。瞬間移動は存在を作り出すリズムのひとつの機能なんだ。セティアンの精神物理学者によれば、それは人間ひとりひとりを永遠と偏在に参与せしめるリズムへの架け橋なのだ。   

(アーシュラ・K・ル・グイン『踊ってガナムへ』小尾芙佐訳)

  アンジョリーナはがんこな嘘つきだったが、本当は、嘘のつき方を知らなかった。

(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』10、堤 康徳訳)

 
  ピートは闇をすかして、おのれの両手を見おろした。どんな惑星も、どんな宇宙も、人間にとってのおのれの自我とくらべたら、ちっぽけな存在でしかない。この両手は、あらゆる歴史をつくりだしてきた両手だ。先人すべての手とおなじく、ピートのこの手もほんのわずかな動作で人間の歴史をつくりだすこともできれば、反対に歴史に幕を引くこともできる。   

(シオドア・スタージョン『雷と薔薇』白石 朗訳)

  トム・ズウィングラーは、ルビーのネクタイピンと、ピカピカの赤い水晶カフスボタンをしていた。それ以外のすべては白と黒で、かれの発言さえも白か黒かの厳密さを保っていた。でも、この赤い点がつくる三角形は、かれが首をかしげてうなずき、身振りをするにつれて動き、カモフラージュとコントロールのダンディな幾何学を構成していた。

(イアン・ワトスン『エンベディング』第三章、山形浩生訳)

  ミンゴラは雨戸の隙間からこぼれる淡い明け方の光に目をさまして、酒場にいった。頭痛がし、口の中が汚れている感じがした。カウンターの半分残ったビールをかっさらって、掘ったて小屋の階段をおり、外に出た。

(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第二部・7、小川 隆訳)

  いま、ラヴェナは強い人だった、と言いました。(…)今にして思えば、彼女は強さを装っているだけでした。それはわたしたち人間にできる最善のことです。

(カート・ヴォネガット『パームサンデー』VII、飛田茂雄訳)

  ゼアはかすかに笑みを浮かべ、やがてその笑みが大きくなった。体の中に笑いがあるようで、周囲の人間たちも笑みを浮かべて、たがいに顔を見合わせ、そしてゼアを見た。

(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

  あのとき、ヘアーにはそれがまるでなにかの物語のように思えた。農場で働くことも、がらんとして巨大な夏の夕方のことも。彼は身を入れて聞いていなかった。そこに衝撃的な図と地の反転が生まれ、予想外の物語、それに対する心構えのまったくできていなかった物語が見えてくるとは思いもしなかった。思っていたとおりのものはなにひとつなかった。まるでトラックの進路にはいるように、その事態のなかへ飛びこんだようなものだった。

(ジョン・クロウリー『青衣』浅倉久志訳)

  ラ・セニョリータ・モラーナの家にそして男たちや女たちの上に霧がかかり、彼等が交わし、いまだ空気の中に漂っている言葉を残らず、一つ一つ、消して行く。記憶は霧が課する試練に耐えられない、その方がいいのだ

(カミロ・ホセ・セラ『二人の死者のためのマズルカ』有本紀明訳)

  「時間がかかると思います」スタンリーがいった。「もっとつづけてください。ただしその際必要なのは、言葉に視覚的なイメージを関連づけてやることです。言葉はもともとは意味のないものですから。それによって自分の頭に浮かんだイメージが、この機械の脳部に伝わるようにしてやればいいわけです」

(フィリップ・K・ディック『空間亀裂』10、佐藤龍雄訳)

 
  そのときマルティンはブルーノが言ったことを思いだした、自分はまったく正真正銘ひとりぽっちだと思い込んでいる人間を見るのはどんなときでも恐ろしいことだ、なぜなら、そんな男にはどこか悲劇的なところが、神聖なところさえもが、そして、ぞっとさせられるばかりか恥しくさせられるようなところがあるからだ。   

(サバト『英雄たちと墓』第II部・20、安藤哲行訳)

  グランディエには殺人者になるつもりなど毛頭なかったのと同じに、妻をも含めてだれかを愛するつもりもなかった。それは積極的に人間を嫌っているというわけではなく、周囲の世界で愛という名のもとにおこなわれているふるまいに対する強度の懐疑主義のせいだった。

(トマス・M・ディッシュ『ビジネスマン』10、細美遙子訳)

  教会の鐘が一度だけ鳴り、なにか不思議なやり方で、それが風景全体を包みこんだように見えた。ジョンにはその理由がわかり、心臓が跳びあがった。鐘の主調音から切れ切れにちぎれたぶーんと鳴る音の断片がこれらの色になったので、基本的なボーオオオンという音は白のままだ。さまざまな色がぶーんと鳴り、渦巻いて、神の白色となり、分かれて、もう一度戻ってくる。なんであれ、神はそれとどんな関係があるのだろう? いや、ここのローマでは、そんなことをいってはいけない。

(アントニイ・バージェス『アバ、アバ』4、大社淑子訳)

  スリックの考えでは、宇宙というのは存在するすべてのものだ。だったら、どうしてそれに形がありうるのだろう。形があるとすれば、それを包む(、、)ように、まわりに何かあるはずだ。その何かが何かであるなら、それ(、、)もまた宇宙の一部ではないのだろうか。

(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライブ』12、黒丸 尚訳)

 
  あまり細かく見てはいけないことをジョニーは知っていた。あらゆるものに、あまり大きく意識を割いてはいけない。   

(ウィリアム・ギブスン原案、テリ・ビッスン作『JM』9、嶋田洋一訳)

  「無理もないな。ジーヴズ、ぼくらどうする?」

(P・G・ウッドハウス『同志ビンゴ』岩永正勝・小山太一訳)

  その言葉にマイロもわたしもぎょっとした。邪気のない、哀れを誘う問いだった。マイロはわたしのそばに来て、両腕を回して抱きしめた。彼の最後の抱擁だった。

(アン・ビーティ『シンデレラ・ワルツ』亀井よし子訳)

  エミリ・ディキンスンにとっていちばん大事なことは、各人の自己の本質と首尾一貫性の問題だった。そして苦悩の神秘についての検討から始めた。その主題についての初期の一篇では「わたしは悲しみの淵を渡ることができます」(二五二番)と始めて、苦しみだけが力を与え、人間は逆境にあるとき、苦しみには耐えていけることを訓練を通じて知るものだ、と結んでいる。

(トーマス・H・ジョンスン『エミリ・ディキンスン評伝』第十章、新倉俊一・鵜野ひろ子訳)

  その世界はジム・ブリスキンの好奇心をそそったが、それはまたかれのまったく知らない世界だった。

(フィリップ・K・ディック『カンタータ百四十番』5、冬川 亘訳)

  ヴェーラは玄関にある鏡を覗いた。受話器を耳に当てて立っている自分がいる。鏡は古ぼけており、黒い染みが付いていた。わたしはこの鏡によく似ている、とヴェーラは思った。

(カミラ・レックバリ『氷姫』IV、原邦史朗訳)

  あいつのあの顔つきときたら、いつだって同じだ。そりゃニクソンだって自分のおふくろは愛してただろうけど、あの顔じゃとてもそうは思えないよな。

(アン・ビーティ『燃える家』亀井よし子訳)

    常に──とブルーノは言う──わたしたちは仮面を被っている、その仮面はいつも同じものではなく、生活の中でわたしたちにあてがわれる役割ごとに取り換えることになる、つまり、教授の仮面、恋人の仮面、知識人の仮面、妻を寝とられた男の、英雄の、優しい兄弟の仮面というように。しかし、わたしたちが孤独になったとき、つまり、誰一人としてわたしたちを見ず、関心を示さず、耳を貸さず、求めもしなければ与えもしない、親しくもならなければ攻撃することもない、そんなときわたしたちはいったいどんな仮面をつけるのだろう、どんな仮面が残されているのだろう?   

(サバト『英雄たちと墓』第II部・20、安藤哲行訳)

  いつわりであるからといってつねに無価値とはかぎらないことは、バザルカンも知っている。それが物理的な現実においてまったく根拠のないものであってさえも、

(ナンシー・クレス『プロバビリティ・ムーン』19、金子 司訳)

  彼ら三人は水に浮かぶボートに座っている。彼らが人とは限らず、あれもボートとは限らない。彼女の靴紐を結んだ三つの結び目なのかもしれないし、ヒルディーの鏡台に隠された三本の口紅なのかもしれないし、三切れのフルーツなのかもしれないし、ベッドの横の青いボウルに入っている三個のオレンジなのかもしれない。

(ケリー・リンク『人間消滅』金子ゆき子訳)

  シェリーのようなロマン主義者は、まず自らの媒体があり、自分の見、聞き、考え、想像するものを、己の媒体によって表現するのです。

(ディラン・トマスの手紙、パメラ・ハンスフォード・ジョンソン宛、一九三余年五月二日、徳永暢三・太田直也訳)

 
  ポールは一瞬、相手に共感して心を痛めた。だが、共感から同一視まではあと一歩。ポールはその感情を押し殺した。   

(グレッグ・イーガン『順列都市』第一部・6、山岸 真訳)

  物質の中に神々はない。神々は力と力の分離から生まれ、それらが和合する時に死ぬ。/神々は創造に近ければ近いほど、恐ろしい姿、それに内在する原理にふさわしい姿をしている。/プラトンは神々の本性について語り、神々を原理と同一視しているが、だからといって力である原理と、神々である力について我々がよく理解できるようにはしてくれないのである。

(アントナン・アルトー『ヘリオガバルス』II、多田智満子訳)

 
  静寂。(…)それはキッチンの全壊半壊の器具類、イジドアがここへ住みついてこのかた作動したことのない死んだ機械類から、鎖を離れたようにとびだした。それは今の使用不能なランプ・スタンドから滲み出し、蠅のフンに覆われた天井から降下するそれと、無音のまま絡みあった。それは事実上、彼の視野にあるすべてのものからいっきょに出現したようだった。まるで、それ──静寂──が、すべての形あるものにとって代る意志を秘めてでもいるように、彼の聴覚だけでなく、視覚をもおそった。物言わぬテレビのそばに立った彼は、その静寂を目に見えるものとして、また、ある意味での生き物として、体験したのである。生き物! これまでにも、彼は何度もその仮借ない接近を感じとったことがある。いつもまるで待ちきれないように、何の手心も加えず猛然とおそいかかってくるそれ。この世界の静寂は、もはやそれ自身でも手綱を抑えきれぬほど、貪欲になっているのだ。それが実質的に勝利者となったいまでは。   

(フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』浅倉久志訳、オールディスの『十億年の宴』より孫引き)

  サー・ジョンと仲間の美術貴族たちは大英博物館やルーヴルやメトロポリタンの監督として、夢見るファラオやキリスト磔刑や復活(第二のデ・ミル監督の出現を待ちわびる究極の超大作映画の題材)の絵画を揃え、たしかに人間の魂の空虚を巧みに満たしてくれたが、そもそも魂のなかに欠けていたものは何だったのだろうか。

(J・G・バラード『静かな生活』木原善彦訳)

  シュタイナーによれば、われわれは生まれる前に自分で運命を選びとったのであるから、それを嘆くのは見当ちがいだという。/それでは、どうして人は美男子で金持ちで成功者であることを選びとろうとしないのだろうか。それは、霊の目的は自らの進化であり、幸運や成功はそれを阻む作用をするからなのである。霊的な進歩は、霊界においてではなく、地上においてのみ行われるのである。

(コリン・ウィルソン『ルドルフ・シュタイナー』7、中村保男・中村正明訳)

  マルガリータ夫人は次のような言葉を口にした。『それは、今となってはべつに名づける必要もない考えでしたの』ひとしきり咳こんだあと、こう続けた。『いじりまわしすぎて自分でもわけの分からなくなった取りとめもない考えだったのですが、それがゆっくり沈んでいったので、そのままそっとしておきました。わたしが水のなかから引き出した思い、自分の目と魂を満たした思いは、そこから生まれてきたのです。そのとき初めて、人間は水のなかで追憶を養い育ててやらなければいけないのだと悟ったのです。水というのは、自分に映し出されたものを美しく磨き上げるだけでなく、人間の考えも受けとめてくれるのですね。絶望してもけっして水に肉体をゆだねてはいけません、考えを水にゆだねるのです。すると、水はそのなかに浸透してゆきます。そうして生まれ変わった考えが、わたしたちの人生の意味を変化させるのです』

(フェリスベルト・エルナンデス『水に浮かんだ家』平田 渡訳)

頭を垂れたまま貧相なわが借家に向って砂利道を登っているとき、わたしは、あたかも詩人がわたしの肩辺に立って、少々耳の遠い人に対して声高に言うみたいに、シェイドの声が「今夜おいでなさい、チャーリイ」と言うのを、至極はっきりと聞いたのである。わたしは畏怖と驚異に駆られて自分の周囲を見まわした。まったく一人きりだった。すぐさま電話してみた。シェイド夫妻は外出中ですと、小生意気な小間使(アンキルーラ)、つまり日曜日ごとに料理をしにやって来る、そして細君の留守中に自分を老詩人に抱かせることを明らかに夢想している、不愉快な女性ファンが言った。

(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

    「私の考えではビル、彼等は異なった引力の下で存在しているのではないかと思うのよ──」   

(ウィリアム・バロウズ『ノヴァ急行』緑の大地から、諏訪 優訳)

  ジェイドにはよく言いふくめておいた。彼女はあとまで果たして憶えているだろうか? それとも憶えていすぎたために疑い始めるだろうか?

(W・M・ミラー・ジュニア『時代おくれの名優』志摩 隆訳)

 
  「むだだって?」自分と同じ考えを他人が口にするのを聞いて驚きながら、エミーリオは尋ねた。   

(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』13、堤 康徳訳)

 
  その尋ねかたの中にある何かがシオナに、かれがすでに知っていることを告げた。   

(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第1巻、矢野 徹訳)

  ラ・マーガと会えるだろうか?

(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・1、土岐恒二訳)

  この勤勉な街では、その時間帯、気晴らしに歩いている者は誰もおらず、どこに向かっているかなどまったく眼中にないようにゆっくりと歩いている、しなやかで華やかなアンジョリーナの姿は、みなの注意を引いた。彼女を見れば、情事にはうってつけの相手だとみんながすぐに考えるはずだと思った。その情景によって産み出された興奮から、彼は午前中ずっと逃れられなかった。

(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』11、堤 康徳訳)

 
  自分自身の思考の世界に自らを忘却し得るこの能力において、ガウスはアルキメデスとニュートンとの両者に似かよっている。   

(E・T・ベル『数学をつくった人びと II』14、田中 勇・銀林 浩訳)

  ここでパリーモン師は言葉を切った。一秒たち、二秒たった。新しい夏の最初の金蠅が窓のところでぶんぶん羽音を立てていた。わたしは窓を破りたかった。蠅を捕えて逃がしてやりたかった。師に早く何か話してくれと怒鳴りたかった。その部屋から逃げ出したかった。だが、これらのことは何一つできなかった。わたしは師のテーブルの横の古い木の椅子に坐り、自分はすでに死んでいるが、さらに死ななければならないと感じていた。

(ジーン・ウルフ『拷問者の影』13、岡部宏之訳)

  アダルジーザは「愛情に耐えることができた」。びくともせずに。

(ガッダ『アダルジーザ』アダルジーザ、千種 堅訳)

  彼女は、ピーターはいつも、このような驚きや鮮明さをもって彼の周辺の生物を見ているのだろうとも思った。見たことのない世界に生れてきた人間が、初めて創造物の輝かしい色あいをみて、すべてを新鮮に感じるときのように。おそらく画家の感じ方とはこうしたものなのだろう。

(P・D・ジェイムズ『ある殺意』2、山室まりや訳)

  エイデルスタインは無感動と激怒を交互にくり返しながら、数日間過ごした。例の胃の痛みがぶり返しており、このままではいずれ胃(い)潰(かい)瘍(よう)になるのはまちがいなかった。

(ロバート・シェクリー『倍のお返し』酒匂真理子訳)

  証拠がないこと、はっきりした動機がなにもないことは、ジャープの推理を手(て)控(びか)えさせる代わりに、かえってほしいままの空想へ導く。

(ホリア・アラーマ『アイクサよ永遠なれ』19、住谷春也訳)

  ひどく神経質で感じやすい、衝(しよう)動(どう)的(てき)な人間だった。(…)子供のときから、バードの意志は風(かざ)見(み)鶏(どり)のように、いつも他の人びとの望むほうにむいているのだ。

(オスカー・シスガル『カシュラの庭』森川弘子訳)

 
  娘よ、おまえもわたしも動物だ。真人ですらない。しかし、人間には、ジョーンの教え、人間らしく見えるものが人間だという教えが理解できない。姿かたちや、血や、皮膚のきめや、体毛や、羽毛ではなく、言葉が鍵なのだ。(…)偉大な信仰は、大寺院の塔からでなく、つねに都市の下水道から生まれるものだ。しかも、わたしたちは使われている動物ではなく、見捨てられた動物だ。この地の底のわたしたちは、人類が捨て去り、忘れさったゴミだ。(…)しかし、娘よ、わたしはおまえに愛を感じるし、おまえはわたしに愛を感じる。愛をいだくものはそれじたいに価値があり、だから下級民が無価値だとする説はまちがいだとわかる。いま、わたしたちは分秒と時間の先を超え、時計のない、夜の明けない場所に望みをかけることを強いられている。時の外にもひとつの世界があって、わたしたちが訴えかけるのはそこなのだ。   

(コードウェイナー・スミス『ノーストリリア』浅倉久志訳)

  ジョーンはいった。「愛は特別なものじゃなく、人間のためだけに用意されたものでもありません。/愛はいばらないし、愛にはほんとうの名前はありません。愛は命のためにあるもので、その命をわたしたちは持っています。/わたしたちは戦って勝つことはできません。人間たちは数が多すぎるし、武器はたくさんありすぎるし、スピードは速く、力も強すぎます。けれど、わたしたちは人間に創られたのではありません。人間を創った何かが、わたしたちをも創ったのです。みなさん、わかっているわね。その名前をいいますか?」

(コードウェイナー・スミス『クラウン・タウンの死婦人』伊藤典夫訳)

  マーティンは、木の家や家具が好きではない。植物、とくに樹木というものには、単純だが深遠な高次の意識があるというのが、彼のいっぷう変わった持論だ。植物は精神も自我も〈匡〉も持たないが、生命活動においては、成長、エクスタシーも罪の意識もないセックス、苦痛のない死など、ごく単純な反応を示す。そこには意識がかかわっているのではないか。

(グレッグ・ベア『女王天使』上・第一部・18、酒井昭伸訳)

    「すばらしい名文家というだけじゃありませんわ」と、ヘティが言った。「文体は意味を明らかにすると同時に、それを隠しもします。彼のもっともすぐれた作品では、RLSは文体をその両方を成し遂げるために使っています。ですから読者は、永久に神秘と啓示のあいだに宙ぶらりんになるんです」   

(ブライアン・W・オールディス『三つの謎の物語のための略図』深町真理子訳)

  君たちは生命の外観だけはとらえる。けれど、あふれ出る生命の過剰を現わすことはできない。たぶんは魂であって、外観のうえに雲のようにただよってる、なんともわからないもの、──一口にいえば、チチアノとラファエロがつかまえた生命の花、それが君たちには現わせないのだ。

(バルザック『知られざる傑作』I、水野 亮訳)

  エピメニデスのパラドクスは、たった一行の短い言葉である。「この文章は嘘だ」どの文章が嘘なのか。この文章だ。もし、この文章は嘘だといえば、私は真実を述べたことになる。となると、この文章は嘘ではない。つまり、この文章は真実である。この文章は意味が反対になった姿を鏡のように返してくる。しかも、際限なく。

(ベルナール・ウェルベル『蟻の革命』第3部、永田千奈訳)

  モナの世界のかなりの部分は、知ってはいても、生身で見たことも訪れたこともないものや場所で成り立っている。

(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』11、黒丸 尚訳)

  あらたな概念があらたな法則を作り出し、それが世界を存続させてきたのです。ニュートンが重力という普遍性をつくりだすと、万物はそれにしたがって再編成されました。アインシュタインが空間と時間という概念を明確にすると、万物はふたたびそれにしたがって配列しなおされました。そしてダンテ・アリギエリ──この頭のいかれたちび野郎──は世界最初の詳細な地獄図を描くことによって、初めて人々の理解の対象となり得る地獄をあらわしたのです

(ダン・シモンズ『ヴァンニ・フッチは今日も元気で地獄にいる』柿沼瑛子訳)

 
  バザルガンは先へと庭園を進んだ。楽しみつつ、朝のあらゆる瞬間を、あらゆる香り、残り香、音をとりこんでいく。ザクロ、バラ、ジャスミン、アーモンド。詩の種を蒔いた庭園こそは、彼の知るなかでもっとも鮮やかな確固とした光景で、露は一滴ごとに水晶でエッチングされ、花びらは一枚ごとに明るく輝いている。彼は花を摘みながら、生命にあふれた暖かな指でそれを抱きかかえ、庭園を先へと進んでいった。   

(ナンシー・クレス『プロバビリティ・ムーン』19、金子 司訳)

  コングロシアンはうす赤いスポンジ状の肺組織を見つめた。「おまえは私だ」彼は肺組織に語りかけた。「おまえは私の世界の一部だ、私でないものではない。そうだろ?」

(フィリップ・K・ディック『シミュラクラ』14、汀 一弘訳)

  フライシュマンは、絶えずではないにせよ、非常にしばしば(そして、自己愛をこめて)、自分自身を観察していた(、、、、、、)。彼はいつも心の中に分身がいて、一人の時でも孤独ではなかった。例えば、今回はプラタナスに寄りかかって立ち、煙草を吸っていただけではなしに、同時に、プラタナスに寄りかかって立ち、無関心をよそおって煙草をふかしている自分(美しく、少年風)をうっとりと見つめていた。彼はこの分裂をしばらくの間楽しんでいたが、遂に建物の中から彼の方に向ってくる軽い足取りが聞こえてきた。故意に振り向かなかった。もう一本煙草を取り出すと、煙を吐き、空を眺めた。

(ミラン・クンデラ『シンポジウム』第一幕、千野栄一訳)

  きょうのドウェインは、わたしが一度も見たことのないドウェインだ。

(カート・ヴォネガット・ジュニア『チャンピオンたちの朝食』第4章、浅倉久志訳)

  ボニートは彼の前を走り、跳びはねては雀を追いかけ、ワンワンと吠えていた。『犬であるってのは幸せなもんだな』とそのとき彼は思った、あとでドン・バチーチャにそう言ったが、バチーチャはパイプをふかしながら考えこむようにして彼の話を聞いていた。そして、思考と感情の混乱の中でふと彼は詩の一節を思いだした、それはダンテやホメロスの詩ではなく、ちょうどボニートと同じように通りをさまよう卑しい詩人のものだった。『おまえが行ってしまったとき、神はどこにいたのか?』とその不幸な男は自問したものだった。そうだ、おふくろがぼくを殺そうとしてロープをかけたとき、神はどこにいたんだ。それに、ボニートがアングロのトラックに轢(ひ)かれたときどこにいたんだ、

(サバト『英雄たちと墓』第IV部・5、安藤哲行訳)

  ジョシュアが彼を見つめた。マーシュはちらっとその目をのぞきこんだだけだったが、瞳に宿るなにかが手をのばして彼に触れ、するとふいに、そのつもりもないのにマーシュは目をそらせていた。

(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』12、増田まもる訳)

  「それでは」とアルヌーは言った、「僕たちはまたもとの見解の相違にもどってしまうよ。なぜって、君と僕とは、同じ神を存在させないだろうからね。そして僕はそれが悲しいことだとは言わないだろう、なぜってそれではなにも言わないことになるだろうからね。いや、僕は、君の神は僕の神を殺すだろう、と言うだろうね」

(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』14、菅野昭正訳)

  黒い槍ぶすまのような森林と、若いヴラーラが眠れずに横たわる焼き払った逆オアシスとの境を、夜の微光がなだらかに区切る。微妙に調合された光が物の影を躍らせる。空地を囲む円陣は脈打ち、今にもおさえかねて襲撃に踏み切り、奪われた土地を奪回し、侵入者を追い出しにかかるかに見える。動き出そうとするところを、なにかくらい理性のようなものが押しとどめているのだ。樹々は泥まみれの足を持ち上げたが、気がおさまらないまま、また土に踏みこむ。

(ホリア・アラーマ『アイクサよ永遠なれ』9、住谷春也訳)

  アルフレッド・コージプシー伯爵はその著書『社会と正気』の中で一般意味論という概念を展開し、アイデンティティの「である」は西洋の思想に根源的な混乱を招いていると指摘している。エジプトの絵文字の中ではめったに使われていない。古代エジプト人は、彼は私の召使いである(、、、)とは言わずに、私の召使いとして(、、、)と言う。これはつまり、アイデンティティではなく、関係を述べているにすぎない。したがって、「である」という言葉自体は存在しない。言葉は、言葉の送り手と受け手の伝達システムの中にのみ存在するだけである。話をするにはふたりの者が必要だが、書くにはおそらくひとりを必要とするだけだろう。

(ウィリアム・S・バロウズ『言霊の書』飯田隆昭訳)

 
  ヤーコプは(…)自分の墓碑の上につぎのような銘をほりつけるよう遺言した。それは「たとえこの身は変わっても、私は同じものとなって復活する」。   

(E・T・ベル『数学をつくった人びと I』8、田中 勇・銀林 浩訳)

  マシンガムは青と黄色に染め分けたボールをドリブルしながら芝生を突っ切っていった。元気な足がすぐその後を追い、二人は家の横にまわって姿を消した。

(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第四部・3、青木久恵訳)

  彼は今しばらく立っていた。ゴメスのようにセカセカとはやく走り、ビリャナスルのようにゆっくりと慎重に動き、決して地に足をつけることなく風に乗ってどこかへ飛んでゆくドミンゲスのように漂流できるこの背広。彼らの持ち物であると同時に、かれらすべてを(、)所有しているこの服。

(レイ・ブラッドベリ『すばらしき白服』吉田誠一訳)

  コーデリアはよろこびに昂奮して眺め入った。そう、あの少女の服の独特の青、光線を同時に吸収し、反射している頰や、むっちりした、若々しい腕の──美しい、まるでそれとさわれるような肉のみごとな描写を見まちがうはずがなかった。彼女が思わず叫んだので、みんながこちらを見た。

(P・D・ジェイムズ『女には向かない職業』3、小泉喜美子訳)

  「待って……」わたしはいった。だが、アギアはわたしを歩廊に引っ張り出した。子供が一握りしたくらいの砂が、われわれの足についてきて歩廊を汚した。

(ジーン・ウルフ『拷問者の影』19、岡部宏之訳)

  彼は、あわれげに口ごもった。態度を明らかにしないことを恥じて、シャンスファーから眼をそらした。黄色い水仙が、うつむいた彼の眼を嘲笑していた。

(ブライアン・W・オールディス『銀河は砂粒のように』4、中桐雅夫訳)

  アナベル・リイはもうきのうの一部で、きのうはもう過ぎてしまったのさ。今は、二人で過ごしたあのときのことを思い出すことができるし、その思い出も苦痛じゃない。

(ロバート・F・ヤング『われらが栄光の星』田中克己訳)

 
  エル・スプレモによって解放された奴隷たちの一人の息子にとって、これこそはたぶん人間が希求し得る唯一の永遠性だったのではないか。つまり、自らが救われ、他の人びとの中に生き延びることは……。彼らは不幸で結ばれていたのだから、救済への希望においてもがっちりとスクラムを組まなければならないのだ。   

(ロア=バストス『汝、人の子よ』I・16、吉田秀太郎訳)

  「ヒトラーのような相手と戦うと、常に自分たちも戦う相手のようになってしまう」とわたしは話を続け、「長く深淵のぞきを続けすぎる。それがヨーロッパ。もうひとつの戦線は太平洋にできる。日本が一九四一年にハワイを攻撃するが、その飛行機は──」

(ジャック・ウォマック『テラプレーン』9、黒丸 尚訳)8

 
  アーベルは(…)どうしてそんなに早く第一線にまで進出しえたのかをたずねられたとき、彼は「大学者に学ぶことによって。その弟子たちに学ぶことではなく」と答えた。   

(E・T・ベル『数学をつくった人びと II』17、田中 勇・銀林 浩訳)

  ミセス・シッフは芸術について言っていた。芸術はさえずりであるべきだ。この瞬間、そしてこの瞬間、常にこの瞬間に生きようとすること、そしてそう望むばかりでなく、激しく望むことですらなく、大いにそれを楽しむことだ、果てしない、切れ目のない歌の陶酔を。それがベルカントのすべてであり、飛翔への道なのである。

(トマス・M・ディッシュ『歌の翼に』16、友枝康子訳)

  「かんじんなことは」とアニカはいった。「生きていることは、気にくわないからといってやめられるようなものじゃないってことを、いまのあなたはもう少しで悟りかけている。それがかんじんなんだよ。生きているってことと、あなたとは、別物じゃなくって一つなんだよ」

(ジョン・ウィンダム『地球喪失ののち』2、大西尹明訳)

  ジョニーが最初に気づいたのは、闇(やみ)だった。ここでは闇が実体を持って、あらゆる場所にあふれている。床を覆い、隅にわだかまり、空気中に積み重なり、安っぽいペンキのように壁からしたたっている。あたかもスパイダーが闇の収集家で、ここが彼の宝物庫だとでも言うかのように。

(ウィリアム・ギブスン原案、テリー・ビッスン作『JM』11、嶋田洋一訳)

  詩について語るのは、詩そのものの喜びについて語ることであるべきだとフロストは言ってるの。詩は喜びに始まり、叡(えい)智(ち)に終わる。詩の形象は愛と同じものである

(ダン・シモンズ『ケリー・ダールを探して』III、嶋田洋一訳)

  プーは「詩や歌ってのは、こっちがつかむものじゃなくて、あっちからこっちをつかむものなんだ」と言う。ハイデガーはこれを一般論にして、「言語は語る」と書いた。

(ジョン・T・ウィリアムズ『プーさんの哲学』7、小田島雄志・小田島則子訳)

  ヤコービは、彼の数学上の発見の秘密を問われて「つねに逆転させなければならない」といった。

(E・T・ベル『数学をつくった人びと II』17、田中 勇・銀林 浩訳)

  マルグリットを見つめると、少女は動いていないがっちりした機械の上に軽がると敏(びん)捷(しよう)にすわっていたのに、なんとなくその機械の一部みたいだった。

(ブロッホ『夢遊の人々』第三部・四二、菊盛英夫訳)

  ああ、ルシア、ぼくはきみがいなかったらとても寂しいだろう、ぼくは肌に、喉に、その悲しみを感じるだろう。息をするたびに、もはやきみの存在しないぼくの胸のうちに空虚が侵入してくるだろう。

(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・11、土岐恒二訳)

  エディなら、そばにいないときでも姿を忘れることがない。たいした奴ではないかもしれないけど、なんにせよ、いてくれる。変わらない顔というのが、ひとつぐらい必要だ。

(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』15、黒丸 尚訳)

  ラルフィの顔は不安そうだった。彼には二つしか表情がない。悲しそうなのと、不安そうなのだ。

(ウィリアム・ギブスン原案、テリー・ビッスン作『JM』1、嶋田洋一訳)

 
  「ジェリーを殺したのはきみか?」とダンツラーはたずねた。ムーディにむけた質問だったが、相手は人間に見えず、隠されたメッセージを解き明かさなければならない構図の一部にしか思えなかった。   

(ルーシャス・シェパード『サルバドル』小川 隆訳)

  哲学史のボロトフ教授と歴史学者のシャトー教授の激論の応酬の断片が聞こえてきた、「実在とは存続のことなんだ」とボロトフの声がとどろき渡る。「ちがう!」と相手の声が叫ぶ、「石鹸の泡だって歯の化石と同じように実在しているんだ!」

(ウラジーミル・ナボコフ『プニン』第五章・2、大橋吉之輔訳)

  勇気ということよ、そこをよく考えるのよ。アーサー。わたしの読んだ本によれば、科学の世界では精神の力にもう一度恐れをいだき始めているそうよ。心に合図を送り、じっさいにものを考えさせ、祝福する精神力に対してね!

(ウォルター・デ・ラ・メア『シートンおばさん』大西尹明訳)

  だから、その金で買ったものはなに一つぼくを本当に喜ばせはしない。たしかにぼくはいまはちょいちょい滋養のある食べ物や、一杯のワインで、元気をとりもどすことはできる。でもねえ、ジオルジナ、いつか木がよく売れて正直にもうけた金を神さまがいつもより数グロッシェン多くくださったことがあったねえ。ぼくはあのときの悪い一杯のワインのほうが、よその人がぼくたちに持ってくる上等のワインよりずっとおいしいんだよ。

(ホフマン『イグナーツ・デンナー』上田敏郎訳)

  ステファヌ・マラルメについての思い出を問われるとき、私の答はいつでもこうである。つまり彼は私に、私の意識に入ってくる万物を前にして、これは何を意味するか(、、、、、、、、、、)という問(、)をたずさえて真向うようにと教えてくれた人である。問題は描くことではなく、解釈することなのだ。

(ポール・クローデル『或るラジオ放送のための前書』平井啓之訳、平井啓之箸『テキストと実存』より引用)

 
  何かが信じられるか信じられないかを決めるのに、サリーが何をよりどころにしているのか、ぼくにはさっぱり合(が)点(てん)がいかなかった。いったい、どうしてうら若い女が、頼りになる一束の証拠書類を、まるで湯気くらいに軽く片づけてしまうのか。また、そもそもの出だしからインチキまるだしの広告文を、まるで聖典のようにありがたがって、一杯くわされてしまうのか、ぼくにはさっぱり……。   

(ジョン・ウィンダム『ポーリーののぞき穴』大西尹明訳)

  理由はわからぬながら、このワイルダー・ペムブロウクという男は彼のなかにいっそうの不信と敵意をつのらせていた。「自分のつとめを果たしているだけです」ペムブロウクは繰り返した。

(フィリップ・K・ディック『シミュラクラ』13、汀 一弘訳)

  ダルグリッシュがその車の観察を終えるか終えないうちに、コテイジのドアが開いて、一人の女性がせかせかと二人の方にやってきた。国教の教区に生まれ育った者なら、それがスワフィールド夫人であることに疑いを抱くはずがなかった。まさに田舎の教区牧師夫人の典型だった。大きな胸をして、陽気でエネルギッシュで、一目で相手の権威と能力を見抜き、それを利用することに巧みな女性らしく、少々威圧的な自信を漂わせている。

(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第二部・1、青木久恵訳)

  やがて、おれの目と同時にミリアムの目を通じて、周囲のあらゆるものが二倍もくっきりと見えるようになった。二人の心の内部に、彼女の神経性めまいと、おれに対する愛情と信頼とを感じることができた。公園の花や樹葉の一枚一枚が、ひときわ燦然(さんぜん)たる輝きを放っていた。それは優れた宝石職人の手になる彩飾ガラスの森のようだった。

(J・G・バラード『夢幻会社』26、増田まもる訳)

  「この秋にはイタリア旅行を計画しているんです」とハトン氏がいった。彼は自分がぶくぶくした泡のような、ひょうきんな気持ちの高まりで今にもポンと栓の抜けそうなジンジャー・エールのびんのような気がした。

(オールダス・ハックスレー『モナ・リザの微笑』龍口直太郎訳)

  ジェット夫人はそれから何時間も、人間の目ほどの大きさの、つぼみのような炎をじっと見つめていた。その炎もまた彼女を見返して、さあ、また寝こんで、あんなに取り乱しちゃいけないぞ、と警告しているみたいだった。

(ファニー・ハースト『アン・エリザベスの死』龍口直太郎訳)

 

全行引用詩『ORDINARY WORLD°』 4/5 へ






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最終更新日  2016年01月19日 19時40分20秒
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