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サムエル記上6章を読んで思うこと。それは「ベテシメシで、契約の箱を覗(のぞ)いた者」のこと。
箱の中を見た者は、裁き主により除(のぞ)かれました。望みなし、覗見(のぞみ)なし。彼らは、神がモーセにより与えた律法に対して、全く無知でした。情けないことです、お気の毒なことです。 この契約の箱事件では、ペリシテ人の愚かさ(慌てて悩んで、箱を責任転嫁のたらい回し)はもちろんのこと、それ以上にイスラエルの霊的乏しさが、見事に現れました。 覗きは無知から、神への畏れを知らないからです。神の律法と預言者の言葉を知らないからです。正しい変わらない知識が無いからです。 シェマー、聖書通読運動こそ、日本宣教の鍵。皆さん、聖書研究に、関心を持ちましょう。 「あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。」(1コリント書1:30) ベテシメシの人々で主の箱の中を見たものがあったので、主はこれを撃たれた。すなわち民のうち七十人を撃たれた。主が民を撃って多くの者を殺されたので、民はなげき悲しんだ。(サムエル記上6:19) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021/01/23 09:18:40 AM
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