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サムエル記上10章を読んで思うこと。それは「神の導きは、サウルとサムエルの両者に働く」ということ。
出会いには、両者に神の導きがあります。一人で舞い上がる事ではありません。そして導きは、いつもの日常生活の中に、コツコツとした変わらない生活の中にあります。一人で慌てる事ではありません。 サウルには、日常生活の中に神の導きがありました。父の雌ろばがいなくなり、一人の若者と搜しに行くところに、神の導きがありました。その若者が、神の人の存在を伝えます。「神の人の所に行くべし」と。サウルがこの提言を受け入れ、従うところに、神の導きがありました。 サムエルには、神の啓示がありました。「あすの今ごろ、ひとりの若者を遣わすから、彼に油を注いで神の民の君主とせよ」と。もちろんサムエルも神の啓示に従い、サウルと出会い、共に食事をしました。 両者は日常生活の中で、前もって神の導きを受けています。そして必ず時が来ます。しかし理解できない周りの人々は、いつも驚くばかりです。それでいいのです。あなたは恐れずコツコツと、日常生活の中で、導きの主に従うべきです。 彼らはギベアにきた時、預言者の一群に出会った。そして神の霊が、はげしくサウルの上に下り、彼は彼らのうちにいて預言した。もとからサウルを知っていた人々はみな、サウルが預言者たちと共に預言するのを見て互に言った、「キシの子に何事が起ったのか。サウルもまた預言者たちのうちにいるのか」。その所のひとりの者が答えた、「彼らの父はだれなのか」。それで「サウルもまた預言者たちのうちにいるのか」というのが、ことわざとなった。(サムエル記上10:10〜12) このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。(詩篇1:2〜3) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021/01/28 06:26:27 AM
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