|
カテゴリ:カテゴリ未分類
サムエル記上12章を読んで思うこと。それは「最後の士師サムエルの、最後の警告」について。
「今回の王制導入、動機はダメ、王を求めるイスラエルの民は、必ず痛い目に合う」と、サムエルは警告を与えます。 主の御旨にあらず、民の求めは間違いだった。サムエルは、イスラエルに導入された王制に対し、常に懐疑的です。 「私たちをさばく王を与え下さい」と、民が言った時(サムエル記上8:6)、「サムエルの目には悪と映った」(新共同訳)とあります。サムエルは終始一貫、「主の御旨にあらず、民の求めは間違いだった」と言います。 それに対して、主は寛容な態度です。それは、人間の無知と愚かさに対する主の寛容です。 それは、経験させて教える、実に痛みを伴う教育です。イスラエルの民が、自ら要求した事が、何を意味するのか、痛みを持って理解させる為の、実に「神の教育的配慮に基づく許可」なのです。 サムエルは、初めから知っていました。民の愚かな要求は、「主の御旨にあらず、民の求めは間違い」だったと。 「イスラエルの真の王は、主ご自身」です。そして民も王も同じように、「主を恐れて、主に仕え、主の御声に聞き従うべき」だと。 サムエルは、民に言った、「恐れることはない。あなたがたは、このすべての悪をおこなった。しかし主に従うことをやめず、心をつくして主に仕えなさい。むなしい物に迷って行ってはならない。それは、あなたがたを助けることも救うこともできないむなしいものだからである。主は、その大いなる名のゆえに、その民を捨てられないであろう。主が、あなたがたを自分の民とすることを良しとされるからである。また、わたしは、あなたがたのために祈ることをやめて主に罪を犯すことは、けっしてしないであろう。わたしはまた良い、正しい道を、あなたがたに教えるであろう。あなたがたは、ただ主を恐れ、心をつくして、誠実に主に仕えなければならない。そして主がどんなに大きいことをあなたがたのためにされたかを考えなければならない。」(サムエル記上12:20〜24) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021/01/30 10:42:05 AM
|