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1分de聖書、解説者

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2024/04/09
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1コリント書10章より

まず、1分de聖書を読みましょう。(篠原利治)

おはようございます。今日はコリント人への手紙第一10章「神の栄光のために」です。

あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。:コリント人への手紙第一10章31節

◆要約

私たちの先祖はモーセを通し、同じ霊的な食べ物を食べ、同じ霊的な岩から飲みました。その岩とはキリストです。しかし、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。これらは、私たちが悪を貪ることのないように戒める実例です。
立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。ですから、偶像礼拝を避けなさい。
私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることです。主の食卓にあずかりながら、悪霊の食卓にあずかることはできません。すべてのことが許されていますが、すべてのことが益になるわけではありません。だれでも、自分の利益を求めず、ほかの人の利益を求めなさい。市場に売っている肉や、招待されて出された肉は、どれでも食べなさい。しかし、だれかが「これは偶像にささげた肉です」と言うなら、良心のために、食べてはいけません。良心とは、あなたの良心ではなく、その人の良心です。こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。だれにもつまづきを与えず、人々が救われるためです。

設問:私たちの行動の原則は何か
20字:何をするにも神の栄光と他人の救いを求める(岡崎道成)

解説として

1コリント書10章は、「失格者に至る危険と、神の訓練と守り」について。

パウロは、コリントの人々に対して、数々の叱責をしてきました。それ故に語る自らも、その語った言葉により、失格者にならないように、節制した生き方をこころざしています。これが前章の9章までのメッセージです。

この10章では、まだまだ「失格者になる可能性」の思想が続いています。

人々を教え、コリントの人々を叱咤激励するところには、パリサイ人が陥った罠が存在します。ラビ出身のパウロは、その可能性と危険を、痛いほど知り尽くしています。

語る自らも「失格者になる可能性」あり。パウロはコリントの人々に、それに対する警戒と、それに打ち勝つ力を、語っています。これが本章(10章)のメッセージです。

まず3つのメッセージを提示しています。

神の恵みの啓示を理解せよ(1コリント書10:1〜5)。失格者に至る危険を知れ(1コリント書10:6〜12)。神の訓練と励ましを受けよ(1コリント書10:13)。

あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。(1コリント書10:13)

出エジプト記では、奴隷状態であったイスラエルを、神は雲の柱と火の柱をもって導き、紅海を渡らせました。これが、神の恵みの啓示です(1コリント書10:1〜5)。

そして貪り(1コリント書10:6)、偶像礼拝(1コリント書10:7)、姦淫(1コリント書10:8)、主に対する試み(1コリント書10:9)、つぶやき(1コリント書10:10)。これが、失格者に至る危険の要素です。

これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。(1コリント書10:11〜12)

以下10:33まで、パウロの具体的なメッセージが続きます。懇切丁寧に、避けるべきものと、尊ぶべきものを、具体的に提示しています。

だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。ユダヤ人にもギリシヤ人にも神の教会にも、つまずきになってはいけない。わたしもまた、何事にもすべての人に喜ばれるように努め、多くの人が救われるために、自分の益ではなく彼らの益を求めている。(1コリント書10:31〜33)

(篠原利治)





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Last updated  2024/04/09 12:25:00 AM



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