1076331 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

聖書を毎日、一日数章、一生学ぶプログラム

聖書を毎日、一日数章、一生学ぶプログラム

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

1分de聖書、解説者

1分de聖書、解説者

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

コメントに書き込みはありません。

Freepage List

2024/04/10
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
ヤコブ書2章より

まず、1分de聖書を読みましょう。(篠原利治)

おはようございます。今日はヤコブの手紙2章「信仰と行い」です。

信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。:ヤコブの手紙2章17節

兄弟たち。あなたがたは主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしてはいけません。あなたがたは、会堂に来る貧しい人を差別して、悪い考えで人をさばく者になったのではありませんか。神はこの世の貧しい者を選んで信仰に富む者としたのに、あなたがたは貧しい人々を軽蔑したのです。
兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰が、その人を救うことができるでしょうか。だれかが着る物や食べる物がないときに、「安心して行きなさい」と言っても、必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。ああ、愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行いによって義と認められたではありませんか。彼の信仰は行いとともに働き、信仰は行いによって全うされたのです。たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。(岡崎道成)

◇解説として

行いと信仰の問題が、時にこの章の話題となりますが、ここで言う行いとは、「主にあって他者に憐れみを示す行為のこと」を意味します。

つまり、前章の最後にあるヤコブ書1:27の問題、「父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まらずに、身を清く保つことにほかならない」とあるように、困っている貧しい人に、具体的に手を差し伸べる勧めが、行いの問題の前提になっています。

実際は、迫害下にある貧しい初代教会にも、差別による人々への優遇がありました。富んでいる人と貧しい人の差別が、如実にありました。故に、信仰があると言いながら、憐れみの行為がない信仰者に、主の兄弟ヤコブ(ヤコブ書の著者)は思いをぶちまけました。それが、この2章です。

わたしの兄弟たちよ。わたしたちの栄光の主イエス・キリストへの信仰を守るのに、分け隔てをしてはならない。たとえば、あなたがたの会堂に、金の指輪をはめ、りっぱな着物を着た人がはいって来ると同時に、みすぼらしい着物を着た貧しい人がはいってきたとする。その際、りっぱな着物を着た人に対しては、うやうやしく「どうぞ、こちらの良い席にお掛け下さい」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っていなさい。それとも、わたしの足もとにすわっているがよい」と言ったとしたら、あなたがたは、自分たちの間で差別立てをし、よからぬ考えで人をさばく者になったわけではないか。(ヤコブ書2:1〜4)

この2章のメッセージは、「行いか信仰か、さてどちらが重要か」ということではありません。読み取るべきことは、「信仰による救いは、行いに至る為のもの」であり、「憐れみの行為の動力は、信仰による救いから来るもの」であることを示しています。行いが湧き出るほどまでの明確な救いが、この2章のメッセージです。

霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。(ヤコブ書2:26)

(篠原利治)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024/04/10 02:20:03 AM



© Rakuten Group, Inc.