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1コリント書11章より
まず、1分de聖書を読みましょう。(篠原利治) おはようございます。今日はコリント人への手紙第一11章「主の晩餐の目的」です。 あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。:コリント人への手紙第一11章26節 ◆要約 あなたがたに、次のことを知っていてほしいのです。すべて男のかしらはキリスト、女のかしらは男、キリストのかしらは神です。祈りや預言をするとき、男は神の栄光の現れとしてかぶり物を着けるべきではなく、女は男の栄光の現れとしてかぶり物を着けるべきです。とはいえ、主にあっては、女は男なしにあるものではなく、男も女なしにあるものではありません。女が男から出たのと同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から出ています。ところで、あなたがたの集まりが益ではなく、害になっています。あなたがたが集まる際、分裂や分派があるからです。それでは、集まっても主の晩餐を一緒に食べることにはなりません。それぞれが我先にと自分の食事をするからです。あなたがたは、神の教会を軽んじて、貧しい人たちを恥ずかしめたいのですか。主イエスは、渡される夜、「わたしを覚えて、これを行いなさい」と言われました。あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。ふさわしくない仕方で飲み食いするなら、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。ですから、食事に集まるときは、互いに待ち合わせなさい。空腹な人は家で食べなさい。 設問:パウロが主の晩餐について彼らを戒めていることは何か 20字:主の言われた目的を忘れて我先に食べている(岡崎道成) 解説として 1コリント書11章は、「コリント教会の中にある無秩序」について。 コリント教会の中には、数々の具体的な問題が存在します。一つ一つ関わっていても、キリがありません。しかしパウロは、その諸問題の共通項を見出しました。それは、「無秩序」から始まるということです。 この11章に登場するパウロの薦めは、現代の教会に直接適用できないものもあります。しかし、その言わんとする点は汲み取るべきです。つまり、最初に登場する「女性のかぶりもの」(1コリント書11:3〜16)については、「ふさわしさ」の視座を提示しています。 11:17以降では、分裂分派による問題、コリント教会の集会や礼拝における問題など、無秩序な状態になっている事柄が取り上げられています。つまりそれは、私たちの大切な聖礼典、聖餐式に関する事です。 ところで、次のことを命じるについては、あなたがたをほめるわけにはいかない。というのは、あなたがたの集まりが利益にならないで、かえって損失になっているからである。まず、あなたがたが教会に集まる時、お互の間に分争があることを、わたしは耳にしており、そしていくぶんか、それを信じている。たしかに、あなたがたの中でほんとうの者が明らかにされるためには、分派もなければなるまい。(1コリント書11:17〜19) 聖餐式においては、よりリアルです。具体的に言いますと、富裕層の者が先に教会に来て、自由気ままに聖餐を食い荒らし、酔ったまま教会に入り浸る。その後、一日中、あくせく働いた者が教会に来て、困り果てている、という状態です。 前代未聞のコリント教会の問題は、私たちには想像不可能です。しかし、パウロの苦悩は続きます。混乱に混乱を極めるコリント教会の問題は、尽きる事がありません。残念なことです。 そこで、あなたがたが一緒に集まるとき、主の晩餐を守ることができないでいる。というのは、食事の際、各自が自分の晩餐をかってに先に食べるので、飢えている人があるかと思えば、酔っている人がある始末である。あなたがたには、飲み食いをする家がないのか。それとも、神の教会を軽んじ、貧しい人々をはずかしめるのか。わたしはあなたがたに対して、なんと言おうか。あなたがたを、ほめようか。この事では、ほめるわけにはいかない。(1コリント書11:20〜22) (篠原利治) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/04/12 03:58:39 AM
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