|
カテゴリ:カテゴリ未分類
エゼキエル書44章より
エゼキエル書40章から48章は、新しいエルサレム神殿についてです。 本章44章では、神殿の東側から来られる君たる者について。彼は君主として、上げられた者として、神殿に入ってこられます。 その君たる者(君主)に仕えて、安心して働く祭司たち。預言者エゼキエルは、彼らの務めと規定をここで語ります。さながら、レビ記の様です。 君たる者(メシア)の元で働き、約束の相続地を覚えて、その契約に立って、祭司たちは生きる。 君たる者(主イエス)の元で歩み、約束の地を覚えて、その契約に立って、私たちは生きるのです。 以下、1分de聖書を引用しています。(篠原利治) おはようございます。今日はエゼキエル書44章「宮の任務」です。 彼らはわたしの聖所に入ることができる。わたしの机に近づいてわたしに仕え、わたしへの務めを果たすことができる。:エゼキエル書44章16節 ◆要約 彼が私を聖所の東向きの外の門に連れ戻すと、主は私に言われた。 ー この門は閉じたままにしておかなければならない。主がここから入られたからだ。君主だけが、君主として主の前でパンを食べるために、そこに座ることができる。ー 彼は私を、北の門を通って神殿の前に連れて行った。私が見ると、なんと、主の栄光が主の宮に満ちていたので、私はひれ伏した。主は私に言われた。 ー 人の子よ。主の宮のすべての掟をすべて心にも留め、耳を傾けよ。 イスラエルの家よ。あなたがたのあらゆる忌み嫌うべきわざは、もう十分だ。あなたがたは、心にも肉体にも割礼を受けていない異国の民を連れて来て、わたしの神殿を汚した。 イスラエルが迷って偶像を慕ったとき、レビ人もわたしから離れ去ったので、彼らは自分たちの咎を負わなければならない。彼らは、祭司としてわたしに仕えるために、わたしに近づいてはならない。 しかし、イスラエルの人が迷ってわたしから離れたときも、わたしの聖所の任務を果たした、ツァドクの子孫のレビ人の祭司は、わたしに近づいてわたしに仕えることができる。彼らはわたしの聖所に入り、わたしへの務めを果たすことができる。 彼らは、わたしの民に、聖なるものと俗なるものとの違い、汚れたものときよいものとの区別を告げ知らせなければならない。ー(岡崎道成) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/04/16 04:40:03 AM
|