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2011年05月01日
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テーマ:鈴木藤三郎(175)
カテゴリ:鈴木藤三郎

駿河みやげ(国府犀東 斯民第1編第10号明治40年1月23日発行 38ページ~ )



駿河みやげ(報徳行脚) その1

駿河みやげ(報徳行脚) その2

駿河みやげ(報徳行脚) その3

駿河みやげ(報徳行脚) その4  

 

駿河みやげ《下》(国府犀東 斯民第1編第12号明治40年3月23日発行64ページ)


駿河みやげ(報徳行脚) その5



駿河みやげ(報徳行脚) その6

 

◎『戦時に際して陸軍糧秣廠よりの依嘱もあり、さきに砂糖凝結の実験をなし、方式に従いて、醤油のエッキスを試造したるに、初めて高熱度を用いし為か、豆分と塩分と全く分離して固有の旨味を失い、実験意のごとくならざりしが、ついで低温度にて固結せしめるの方式を設け、ついに原来の味と全く異ならざる固形醤油を造り得るに至りしが、当時戦地に供給せられしはすべてこの醤油なりしなり』とて膳に用いられし醤油がこのものなりと説明せらるゝを聞きゝては、戦役の当時この便利なる固形醤油がいかに我が軍隊を利益したるの多かりしやを憶えざるを得ず。

◎『従来は砂糖の製造に従事したりしが、かくてこれよりは全く自己の業をも替え、醤油の醸造を始めんはずにて、今は既にその試験をもおえたり』とて、更に新式醸造法の説明もあり、従来の醤油醸造がいたずらに2か年にわたりて、暑日の発酵と寒時の発酵とを経過せしめるに反して、一定の装置により、従来の長日月を僅々2か月に短縮し得たること、並びに従来の醸造法が防腐剤に代用するため、味を付けるに必要なるよりも更に多くの塩を一時に用いたるをも改め、絶えず液層のおもむろに振盪(しんとう)せられつゝ、上層下層の漸次に交代して、ために腐敗を免がるゝの構造をも作り、従来の旧法と全くことなりて、一時に多くの塩を投ぜざる工夫をも凝らしたることまで、事詳らかに語られしが、かくて長年月を費やさざるもよく醤油の製分をば、まず暑日と高温の下に、ついで又寒時と同温の中につきて両次とも従来の旧法と同一の発酵点に達せしむることを得、時間を省きたるだけにでも、多額の醸造額を得べきことゝなりたるは、近来外国にも日本の醤油を需要するもの多く今日なれば、発明としていかに有益なるべきや、固より予らの呶呶(どうどう:くどくど言うこと)を待たざるべし。

◎大食したる者の実験談も起りぬ。変化に魅せられたるものゝ話もありき。銀燭爛として火桶の炭火なお紅を噴けども、話の尽きぬ気色も見えず、四大寂然として、夜は三更を過ぎぬ。大鈴木小鈴木父子共に一礼して楼を下り、一同寝臥を連ねて脚を展ばし、既に華胥の国に遊ぶ。(※)

華胥の国 (「列子-黄帝」にある故事で) 中国古代の天子、黄帝が昼寝の夢に見たという理想郷。人々は自然に従って生き、物欲、愛憎なく、生死にも煩わされることなく良く治まっていたという国。『華胥の国に遊ぶ』とは、好い気持ちで昼寝をすること。

《原文》黄帝即位十有五年,喜天下五戴己,養正命,
娯耳目,供鼻口,憔然肌色??,昏然五情爽惑。
又十有五年,憂天下之不治,竭聡明,進智力,
 営百姓,憔然肌色??,昏然五情爽惑。
黄帝乃喟然讃曰:朕之過淫矣。
養一己其患如此,治万物其患如此。
於是放万機,舍?寝,去直侍,徹鐘懸。
減厨膳,退而間居大庭之館,斎心服形,三月不親政事。
昼寝而夢,遊於華胥氏之国。
華胥氏之国在?州之西,台州之北,不知斯斉国幾千万里;
蓋非舟車足力之所及,神遊而已。
其国無師長,自然而已。
不知楽生,不知悪死,故無夭殤;
不知親己,不知疎物,故無愛憎;
不知背逆,不知向順,故無利害:
都無的愛惜,都無所畏忌。
入水不溺,入火不熱。
斫撻無傷痛,指?無?癢。
乗空如履実,寝虚若処牀。
雲霧不?其視,雷霆不乱其聴,
美悪不滑其心,山谷不躓其歩,神行而已。
黄帝既寤,怡然自得,召天老、力牧、太山稽,告之,曰:
"朕間居三月,斎心服形,思有以養身治物之道,弗穫其術。
疲而睡,所夢若此。今知至道不可以情求矣。
朕知之矣。朕得之矣。而不能以告若矣。
又二十有八年,天下大治,幾若華胥氏之国,
而帝登假,百姓号之,二百余年不輟。

《列子 黄帝篇第二 訳文は「中国古典文学体系4」平凡社を参考にした》

黄帝は即位してから15年、天下が自分を皇帝として戴くことを喜び、生命を養い、耳目を楽しませ、鼻口を養っていたが、憔悴して肌の色が黒ずみ、ぼんやりとして五感の働きを狂わせてしまった。黄帝は嘆いて言った。さらに15年して、天下が治まらないのを憂い、聡明さを発揮し、智恵を尽くし、百姓を治めたが、やはり憔悴して肌の色が黒ずんで、ぼんやりとして五感の働きを狂わせてしまった。
 黄帝は嘆いて言った。「わたしの過ちは深く、わが身一つを養うのにもその患いはこの通りで、万物を治めるにもその患いはこの通りである」と。

そこで天下の政務・宮廷・家臣たちを捨て去り、鐘やケイなどの楽器を取り去り、食膳も減らし、退いて大庭氏(太古無為の帝王)の館に住み、心を虚にして形をととのえ、3か月政治から手を引いた。ある日、昼寝をして、夢の中で華胥氏の国に遊んだ。
 華胥氏の国はエン州の西、台州の北にあり、斉国から幾千万里離れている。船や車、徒歩で行けるところではなく、心だけが飛んでゆける場所である。その国には賢愚貴賎の差別がなく、自然のままであった。人々には欲がなく、自然のままであり、生を喜ぶことも死を憎むことも知らず、そのため長命であった。自分を親しんだり、他物を疎んじることを知らず、そのため愛憎というものがなく、すべて恐れるということがなかった。水に入っても溺れず、火に入っても焼かれない。切ったり打ったりしても痛みを感ぜず、ひっかいてもかゆみはなく、空をかけても大地を踏むようで、虚空に横たわっても寝台にいるかのようである。雲や霧もその見ることを妨げず、雷もその耳を乱さず、美醜もその心を乱さず、山谷もその歩みをつまずかせない。ただ心が遊ぶ国であった。
 黄帝は既に眠りからさめると、悟りが開け、大臣の天老・力牧・太山稽の3人を呼んで、彼らに告げた。「わたしは三か月ひっそりとひきこもっていたが、心をきよめ体をととのえ、身を養い民を治める道を得たいと思っていたが、そのすべがわからなかった。疲れて眠り、夢に見たのががそのようなところであった。今、『至道』は分別で求めるべきものではないと知った。わたしはこれを知った。わたしはこれを得た。しかしお前たちに告げることはできない」と。
 また28年して、天下は大いに治まり、ほとんど華胥氏の国のようであった。帝が崩御すると百姓はこれを200年余りも嘆いて止まなかった。」






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最終更新日  2011年05月01日 17時15分29秒



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