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カテゴリ:広井勇&八田與一
〇與一達が提出していた二つの工事計画、日月潭の水力発電工事と嘉南平原への灌漑工事について、総督府の土木部内で検討された。日月潭の水力発電工事は電力不足解決のため早急に建設すべきと考えられていたため問題はなかった。しかし嘉南平原の開発については桃園捭圳の工事も始まって間もないので時期尚早の意見が多かった。嘉南へ灌漑する計画は、八田が急水渓ダム調査の折に発見し、計画したものだった。その規模たるや、桃園捭圳の4倍にも達する10万ヘクタールの規模であった。
山形局長は二つの計画を認め、下村長官に回した。下村は與一を呼んで計画について二点について尋ねた。 「このような大規模な灌漑工事が、日本内地で行われた例はあるか?」 「ありません。この工事が完成すれば、日本はおろか東洋でも例をみないものになるでしょう。」 「君、できるか?『やるとすれば八田にやってもらうしかない』と山形局長は言っていた。やれる自信はあるか?」 「自信はあります。だからこそ計画書を出したのです。ただ資金の問題は技術者の私にはわかりません。」 「分った。金の問題は私の仕事だ。やってみよう。東洋一の土木工事を台湾で二つやって、内地の奴らをアッと言わせてみよう。」 総督府は大正6年冬に、二つの事業に着手することを決定した。 「日月潭の水力発電所建設のため、調査を続行し、財源を公債に求め、官営とする。」 嘉南平原の開発については 「官田渓及び亀重渓の流域を水源として、灌漑に供すると同時に、排水工事を施せば、7万5千甲の土地に水利を充足することができ、最も有利な事業と認められるため、この工事の主要部分は、国費を以てし、細部にかかる設備は、利害関係者をして施行する。」(p.79-80) 東洋一の規模を誇る二つの土木工事は、日の目を見ることなく流れてしまう。日月潭の水力発電所建設は、寺内内閣によって公債政策がはばまれ、一年延期され、そのあおりで総督府の予算がつかなかったからである。 大正7年、台湾総督府は安東総督に替って、明石元次郎陸軍中将を総督に迎える。明石総督は下村民政局長をそのまま留任させた。この明石・下村コンビのもと(明石総督は大正7年6月6日着任、翌大正8年10月24日に肺炎でなくなる、在任期間はわずか1年4か月)で、台湾電力株式会社の創設、日月潭水力発電工事、台湾教育令、地方自治制、縦貫鉄道中部海岸線開通、嘉南銀行設立、台北高等商業学校創設、司法制度の改革などが実行された。そして嘉南大圳着工が行われたのである。(p.82-83) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年01月30日 04時38分35秒
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