海津のかいづかwwww
やっふぉぉぉぉぉ 1か月のご無沙汰でしたっ ネタチョウでございますみなさん貝は好きですか(イキナリ)シジミやカキやハマグリなど多くの貝類がこの寒い時期が旬だと言われていますどれも旨いですよねぇ~ で、海津とどういう関係があるのかというと、なんと これらの貝類、海がないのに海津の特産なんですね~2,000年以上も前の話ですがね・・・(汗)ということで本日のネタチョウネタは「海津の貝塚」です。(ムリヤリ) 貝塚と言えば、小学校の社会の授業で習ったような・・・古代の人たちが集落の特定の場所に貝殻を捨て、それが積み重なったもののことを言います。(ソレハ、シッテルヨネww)その貝塚、海津市には岐阜県史跡に指定された「羽沢貝塚」と「庭田貝塚」の2か所あります岐阜県で見つかっている貝塚はこの2か所だけのようですよ今日はそのうち羽沢貝塚のお話です(地図)羽沢貝塚は、縄文時代中期後半から晩期にかけての貝塚で、今から2,500年くらい前のものと考えられていますここに人が住み始めたのは約5,500年前の縄文時代前期中頃からと言われていますが、魚や貝を採り始めたのは縄文時代晩期の後半のようです。(ちなみに、縄文時代って今から12,000年以上前から約1万年も続いた長~い時代をいいます。)縄文前期には海津市の北、大垣市域まで侵入していた縄文海進※の後退期にあたる集落の跡が「羽沢貝塚」のようです ヘー(※縄文海進・・・今から約6,000年前に起きた日本付近で発生した海水面の上昇のこと。)つまり、今の揖斐川が伊勢湾に流れ込む辺りの一部がちょうど海津市辺りってことねwだから貝や魚が豊富で人が住むには最適な環境だったんですね・・・いやぁ、勉強になりますねぇ(汗) 養老山地のふもとは、同じ海津市でも揖斐川・長良川に挟まれた輪中(高須輪中)に人が住むようになったといわれる平安時代より随分早く人が住んでいたことになりますねこの貝塚からは、ヤマトシジミを主体として、他にはマガキやハマグリなどの貝類が10種類。あとはシカ・イノシシなどのほ乳類、ウナギ・コイ・マイワシなどの魚類の骨や縄文土器・石器等が発掘されています貝や魚は海水産のものも見られますが、大半が淡水と海水が混ざりあった汽水域のもののようです。このことからも海津市は、伊勢湾に流れ込む揖斐川などの河口部であったと推定されるのですそして、貝層の周辺からは、人骨10体・埋葬犬なども見つかっていますかめ棺からは胎児の骨(愕!)、その他牙玉、釣針、貝製の腕輪なども出土しています。腕輪かぁ・・・縄文時代の人もおしゃれをしていたんだと思ったら、そうではなくて魔除や呪術的な意味合いが強かったようですねちなみに、この出土した土器や石器は復元され、また人骨などの発見された状態は複製され、海津市歴史民俗資料館で見ることができますよなお、今も現地では地表に貝殻がふつ~に散乱しています。(イイノ)今から2,000年以上も昔、縄文時代の人たちはここで海と山を眺めながら、の~んびりした生活を送っていたのかなぁ・・・などと想いにふけってしまいました 野に佇み、太古の歴史に想いを馳せる「ネタチョウ」・・・絵になるなぁ、オレ