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カテゴリ:経済・産業
ゲーム機売り上げダントツは「3DS」 簡単には揺るがぬ「任天堂神話」
2011/11/13 10:00 J-CASTニュース 売れ行きが不振と伝えられている任天堂の携帯型ゲーム機「ニンテンドー3DS」だが、2011年秋以降、ゲーム機ハードの売上げを見ると、「3DS」が2位の倍以上売れるダントツの1位となっている。 専門家の中には「最終的に3DSは成功という結果になる」と見る向きもある。 2位の「PSP」に2倍以上の差を付けてトップ 任天堂の岩田聡社長は2011年10月28日の中間決算発表で、11年2月に鳴り物入りで発売した「3DS」が「期待に添えるような販売推移にはならなかった」と陳謝した。 11年7月には価格を1万円下げ1万5千円に変更したが、有力なソフトが不足しているという理由で、市場の反応は冷ややかだった。岩田社長は年末商戦で巻き返すとし、12年3月末まで1600万台売るという目標は崩さなかった。海外メディアは「任天堂はゲームオーバー?」などと書き立てた。 ただ、事態を冷静に見ると、それほどの不振ではない。現在、日本で最も売れているゲーム機といえば、実は「3DS」なのである。 調査会社・メディアクリエイトの報告では、11年9月19日~9月25日のゲーム機売上げの1位は「3DS」で7万159台。2位がソニーの「PS3」で3万9452台。3位がソニーの「PSP」、2万8533台で、「3DS」が断トツだ。 こうした状況は10月に入っても続き、11年10月24日~10月30日では「3DS」が1位で6万5041台。2位の「PSP」の約倍の売れ行きになっている。 ゲーム業界関係者は、「DS3」がスタートダッシュできなかったのは、キラーソフトと呼ばれるゲーム機の販売を牽引するソフト開発が遅れたことに加え、携帯ゲーム表現の「三次元化」にユーザーが興味を示さなかったためだと分析している。 過去のDSソフトで遊ぶことができるのが強み それでも、日本で一番売れる理由は、「3DS」専用ソフトが不足していても、「DS」用ソフトと互換性があるため過去のソフトで遊ぶことができるからだ。 つまり、とりあえず3DSを買っておいて、昔のDSソフトで遊び、期待の新作が出るのを待っている。こんなファンが多い、ということだ。 「DS」は世界で最も売れたゲーム機でその数は1億4900万台。 「DSが壊れたり、古くなったりすると買い換えますが、その場合、3Dゲームに興味が無くても、ソフトに互換性のある3DSに向かうという太いベクトルがあるわけです」 加えて、「ゲームボーイ」が世界を席巻して以降、「携帯型ゲーム機は任天堂」という観念がゲームファンに定着している。いわば、「任天堂神話」という過去の遺産が健在なのだ。 こうしたことから、先の業界関係者は、結果的に「3DS」は成功というレベルに達する可能性が非常に高い、と考えている。スマートフォンなどでゲームを楽しむ人が増えても、当分任天堂の強さはゆるがない、ということだそうだ。 任天堂広報は、「これから年末にかけ話題のソフトが続々とリリースされるため、目標の1600万台を変更する必要はない」と強気だ。ちなみに、「スーパーマリオ」シリーズや、「モンスターハンター」といった大人気ソフトが予定されている。 【萬物相】任天堂の没落 1990年代初め、湾岸戦争の爆撃で廃虚と化したイラク・バグダッドの家庭に「ゲームボーイ」が転がっていた。日本の任天堂が製造・販売したこのゲーム機は、原形をとどめないほど潰れていたがゲームの音だけは鳴り響いていた。 任天堂を53年にわたって率いた3代目社長・山内溥氏が「子どもたちが持ち歩くゲーム機は、絶対に壊れてはいけない」と強調してきた成果だった。当時、バグダッドの家庭で発見されたゲームボーイは現在、米国ニューヨークにある任天堂の展示館に展示されている。 任天堂は、囲碁ゲームを他社よりはるかに遅い2008年に発売した。アマチュア囲碁6段の山内社長が、ゲームの設計を担当するプログラマーに「私がゲームをやってみて、負けたときに発売する」と注文を付けたためだ。 山内社長は早稲田大在学中の1949年、花札やカードゲームを製造していた中小企業「任天堂骨牌」を祖父から譲り受けた。1889年に創業した同社は「任天堂杯花札大会」を主催するほど、順調に業績を伸ばしていた。 山内社長は60年代、テレビの普及によって花札が売れなくなったため、モデル業や運輸業などに事業を拡大したが失敗した。そこで本業の「娯楽」に専念し、玩具やゲームの製造業を手掛けた。 70年代、米国ではショッピングモールに設置されたゲーム機にコインを入れてプレーする「アーケードゲーム」が人気だった。これに目を付けた任天堂は、カラーテレビに接続してプレーする家庭用ゲーム機を開発した。80年代には天才的なゲームクリエイター、宮本茂氏が相次いでヒット商品を生み出し、米国に進出した。 85年には家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」用ソフト「スーパーマリオブラザース」を発売し、大成功を収めた。 89年には携帯用ゲーム機「ゲームボーイ」を発売、90年代初めには新型家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」が5000万台の売り上げを記録した。2002年に山内社長が退任した後も、携帯用ゲーム機「ニンテンドーDS」や家庭用ゲーム機「Wii」など世界的ヒット商品を生み出し、業界1位の座を守った。 09年には売上額1兆4400億円、営業利益5300億円を記録した。社員一人当たりの売上額は、トヨタ自動車の5倍の10億円に達した。 そんな任天堂が、今年4‐9月期の決算で573億円の赤字を計上した。世間がスマートフォンによる革命の渦の中で、開放と融合を模索し続けているのに対し、ゲーム機という枠にこだわったためだ。 スマートフォンでさまざまなゲームが無料で楽しめるようになったことで、人々が1台20万ウォン(約1万4000円)以上もするゲーム機に背を向けたのだ。任天堂という社名は「(最善を尽くし)運を天に任せる」という意味を持つ。 だが、山内前社長は「われわれが市場を作り上げるのであって、市場調査など意味はない」と豪語していた。今や、任天堂の敵はそんな高慢さと閉鎖性だと言える。 呉太鎮(オ・テジン)論説委員 朝鮮日報/記事入力 : 2011/10/31 12:56 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.11.15 22:15:26
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