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カテゴリ:思い出話
楽天広場仲間の心斎橋ワタル氏だが、9月上旬にインドから戻ってその紀行文をアップしたのを最後に、日記が更新されないまま1か月経過している。サラリーマン生活に復帰できずノイローゼになったり施設に入れられたりしていないか心配である。
その後同氏のインド紀行はごく一部の訪問者の反響を呼び、トイモイ氏やプーニン氏に至っては自らのインド紀行の思い出を楽天日記に綴ったりインドについて考察文を書いたりしていたようである。 そういうボクも20年前に旅したインドから大きな影響を受けた者の一人であるが、心斎橋氏の紀行文を読んだりトイモイ氏やプーニン氏のインド話のブログを読んでいろいろ思うことがあっても、どうもインドのことを積極的に思い出したり回顧したりすることに抵抗があるらしく、文章に書く気にならない。 このHPのフリーページにも書いたことがあるが、ボクは大学時代に大学の同級生とインドとネパールを1か月くらいかけて旅し、別ルートでインドを旅していた心斎橋氏とガンジスの聖地で落ち合い一緒にバーングを服して死に掛けたりした思い出があるのだが、シャカイジンとして文明生活を送っている今、どうもインドをビビッドに思い出すのが精神的にツライようである。 理由はいろいろあると思うが、1つにはボクが現代社会に二度と完全復帰できない体になってしまったキッカケの1つがインドにあることに関係があると思う。 たとえば、今はほぼ回復しているものの、インドから帰って1年くらいは“インド病”に冒され、「締め切り」とか「決まりごと」だとかいったことがど~でもいい人になってしまっていた。 列車が12時間くらい平気で遅れたり、切符を買うのに長蛇の列で半日近く待つような環境に1か月もいると、「スケジュール」なんて概念は飾り物のような感覚になるものだ。おかげでレポートの提出が大幅に遅れたり講義をサボりまくったその年は、大学の単位が半分くらいしか取れなかったことを思い出す。 ほかのど~でもよくなったこととしては、“他人の目”が決定的にどうでもよくなってしまったことも挙げられる。喰うのにせいいっぱいで、「ファッション」どころか衣も住もままならない国民が大多数を占める環境に1か月もいると、「格好に気をつける」などといった発想を失ってしまうものだ。冬場以外は半ズボンとサンダル履きで過ごしたり、髪は伸ばし放題で暑苦しくなったら側頭部と後頭部だけ友達にバリカンで刈ってもらったり、なんとなく大声を出したくなったら叫んでみたりといったように、当時はいつ施設に入れられてもおかしくない状態が2年も続いたであろうか。 これらの症状がぶり返したら最後、ボクは今のサラリーマン生活は維持できない。 心斎橋氏も今回、インド病が再発していないかが、気懸かりなところなのである。 同氏も20年前の当時はボク同様インド病の後遺症に悩んでいたはずだ。確かあの年に同氏が取得した大学の単位はかろうじて2ケタ、大学1年次にして、残りの3年間はほとんど1科目も落とせない(さもなくば留年決定)という崖っぷち状態が決定したとか言っていた記憶がある。 今回の心斎橋氏のインド滞在はほんの1週間程度だったはずだが、インド病に一度冒されたことのある心身は、何年経過しようが症状がぶり返すのはいとも容易である。 彼の心身に潜伏していたインド菌が、20年ぶりに戻ったインドの臭いに反応して活動を再開し、たかだか数日のうちに同氏の心身を再びインド化したとしてもおかしくない。 20年前のインドでいちど日本に帰って来れなくなりかけたことのある同氏が今回帰国するにあたっては、相当の無理を心身に強いたに違いない。 しかも、同氏が日本で関わっている仕事というのは、労働量はインドの10倍以上、時間の進む速さはインドの50倍強、投資される金額に至ってはインドの100倍くらいという、まさにケタ違いの異世界である。テンパっている大企業のクライアント様に向かって「どーでもいいじゃ~ん。」とか「マイ・フレンド、ノー・プロブレム!」とか言って済まされる世界ではないのである。 このような2つの世界のギャップに耐えられなくなった同氏が、ノイローゼになって休職するくらいならまだよいが、実は会社も家庭も捨てまたインドに戻っていたりしたら、(妻子にとってはシャレにならないだろうが、)相当面白い展開ではある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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