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2008.07.11
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文氏はメシヤが韓国に来る為の条件をこう語りました。

・・・メシヤが来るべき国は、第一に小さい国である。
第二に四〇〇〇年以上の歴史をもたなければならない。
第三に単一民族でなければならない。
第四に国家という国自体は不安定な状態だとしても、国の形態をもっていなければならない。たとえ属国だとしても……。
第五は侵略をしてはならない。小さければ小さいほどいい。
第六番目には問題の国であること。その民は、また多くの問題をもたなければならない。
なぜなら、蕩減をしなければならない民だからである。 歴史的過程において、このような名前をもった国は二つある。
・・・そのように見る時、それはイスラエルと、東洋においては韓国なのである。
(歴史の転換点 1975年12月1日 ニューヨーク ベルベディア)

(3) この国は神の心情の対象とならなければならない
・・・つぎに、神の心情の対象となる民族は、あくまでも善なる民族でなければならない。
韓国民族は単一血統の民族として、四〇〇〇年間悠久なる歴史を続け、高句麗、新羅時代など強大な国勢を誇っていたときにも侵攻してきた外国勢力を押しだすにとどまり、一度も他の国を侵略したことはなかった。
サタンの第一の本性が侵略性であるということに照らしあわせてみれば、こうした面から見ても、韓国民族は天の側であることが明らかである。
神の作戦は、いつも攻撃を受ける立場で勝利を獲得する。
(原理講論 後編第六章 再臨論より)
 
  
朝鮮民族こそは神の心情の対象であり、他国を侵略した事がないとありますが、本当でしょうか?
  
☆高麗史の1272年(元宗十三年)三月の条の記を見ると、後の忠烈王(世子しん)が元の世祖に東征を願っています。


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惟彼日本 未蒙聖化 故発詔。使継糴軍容 戦艦兵糧 方在所須。儻以此事委臣 勉尽心力 小助王師。
(思いますれば、あの日本は、未だに元皇帝様の徳による導きを受けていません。
それ故に詔を発して、軍容を整えて、戦艦兵糧 を用いましょう。
もしも、この事を臣である私に、お任せくだされば、心力を尽くし励み、そして王師を、微力ではありますが、お助けしたいです。)


これを読めば、高麗が元に強要されて日本侵略をしたのではなく、高麗の忠烈王自身が元の皇帝フビライに日本への遠征を願いでたのが分かります。
そして、その際には自身(忠烈王)も協力すると明言しています。
高麗は積極的に日本侵略に加担したのです。

そして2年後の1274年、忠烈王の要請通りに、日本侵略(文永の役)が起こりました。
高麗は日本を侵略するために、戦費全額を負担、軍船900隻建造し、2万人の元・高麗軍によって、日本の対馬・壱岐に上陸し残虐な殺戮を行います。

1274年(文永11年)10月5日、対馬を襲った元・高麗軍と守護代の宗助国と弟の馬之允および手勢80騎に加え義勇軍が激戦し、日本軍は玉砕しました。

この対馬に上陸した敵兵は、男とみれば惨殺し、女は捕えて手に穴をあけ、これに縄を通して船舷に結びつけぶら下げるなどの残虐行為をくりかえしました。
「手の平に穴をあけてそこへ縄を通す」やり方は、朝鮮半島において古来より続く伝統的行為であり、さらに200人の少年少女が高麗軍に連れ去られ、高麗王・忠烈王に献上された、と高麗側に強制連行の記録が残っています。


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(絵画は、本仏寺の寺宝館に納められた矢田一嘯画伯による油絵の元寇のパノラマ画、福岡県の指定文化財)

1274年10月14日、勢いに乗じた2万人の元・高麗軍は壱岐を攻めます。
ここでも対馬と同様に、男は惨殺され、女は手に穴をあけられ船に吊るされたと言います。
壱岐の守護代、平景隆は約100騎と義勇軍で奮戦力及ばず、一門一党残らず自殺。
宗三郎に急を太宰府に報じるよう命じました。


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壱岐の状況が博多に伝わり、京都や鎌倉へ向けての急報が発せられ、
日本側は少弐氏や大友氏をはじめ九州の御家人を中心として大宰府に集結しました。
破竹の勢いの元・高麗軍は目指す博多に押し寄せます。
博多では海岸付近で激しい矢戦となり、一日中死闘が続きます。
日本軍は敗走したが殿軍の少弐景資が追撃してきた劉復亨を射倒すなどして、内陸への侵入を阻止しました。
「高麗史」によると、やがて日暮となり戦闘を解し、日本軍は大宰府に帰った。
一方、元・高麗軍は博多を占拠したものの終日の激戦で矢が尽き、軍の編成が崩れた。
このため、大宰府攻略をあきらめ、博多の市街に火をかけて焼き払い、撤退することにしました。


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壱岐は、元・高麗軍らの残虐行為により、すっかり荒廃しました。
夕暮戦場のあとを彷徨い、戦没した夫を恋う妻、父を慕う子の悲惨さなど、戦争のむごたらしさを物語ります。
対馬・壱岐に点在して残る「千人塚」は、元・高麗軍によってたくさんの日本人が虐殺されたことをいまも伝えています。

日本では、元寇の時、元・高麗軍が日本を襲ったことを、「蒙古高句麗の鬼が来る」といって怖れたことから、転じて恐ろしいものの代表として子供の躾けなどで、「むくりこくり、鬼が来る」とおどす風習などとなり全国に広がりました。
モッコの子守唄(青森県 木造町)のように「泣けば山がらモッコくるね、泣がねでねんねしな」などと、昔の元寇の怖さを子守唄にしたものなど、上記の残虐行為への恐怖を証明する民間伝承は全国に存在します。


元の歴史書・世祖(フビライ)本紀、至元十九年(1279年)七月の条にはこう書かれています。

高麗国王請 自造船百五十艘 助征日本。
(高麗の国王は、百五十艘の船を自ら作り、日本征伐を助けることを請うた。)


1280年、フビライは日本への第二次遠征にむけて、征収日本行中書省(征東行省)を設置しました。
フビライが日本再征に向けて本格的に動き始めた様子は開京にも伝わっていました。

「高麗史」には「朴義奏日東征之事臣請入朝」とあります。

6月初め、忠烈王は入朝の許可を求めるため、将軍朴義を元に派遣します。
王自ら「臣入朝して日本への東征に従軍することを請う」と目的が記されています。


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忠烈王には軍職の下命がなかったので、フビライに拝謁して、高麗が日本再征にすすんで加担することを述べ、高い地位の軍職を望み、7つの希望を告げました。


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1、我が軍は耽羅を鎮戍(鎮守)する兵を以て、東征を補うこと
2、高麗、漢の両軍より、寧ろ蒙軍を以て前線に立てること
3、洪茶丘の職任を加えず、臣も亦、征東行中書省の事を管轄すること
4、小国の軍官、みな牌面(勲章などの類)を賜ること
5、漢の地浜海の者を梢工、水手に充てること
6、按察使(地方行政監察官)を使わして、百姓の疾苦を見させること
7、臣が自ら合浦に到って、軍馬を閲送をすること



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1281年(弘安4年)5月、元・高麗軍は総数14万の大軍を再度編成し、博多湾に攻め入ろうとしました。(弘安の役)
日本軍は事前に石畳(元寇防塁)を築き上陸を許しませんでした。


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文永の役によって元・高麗軍の戦法を周知していた日本軍は優勢に戦い、敵を海上に撤退させました。
上陸できず江南軍の来航を待つ元・高麗軍に小舟での襲撃などを繰り返し勇戦しました。


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江南軍と合流した元・高麗軍は鷹島、平戸島に集結し、軍備作戦を整え出動の前夜に台風に遭遇します。


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台風は最大級の暴風雨となり敵船艦に大損害を与え、「神風」と言われました。


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円覚寺は時の執権、北条時宗が建てたました。
日本を侵略し、多数の良民を殺戮した韓国人、モンゴル人、中国人を祀ったお寺です。
日本人は、多くの良民を殺戮した韓国人達を許し、神仏として800年間祀ってきました。
日本は、死んでしまえば敵も見方も関係なく、みな神仏として参拝する国です

日韓併合条約に調印した李完用の墓は、儒教で最大の屈辱とされる剖棺斬屍(ブグァンチャムシ=死後に墓を暴きふたたび殺すこと)が加えられました。
自分の祖先の墓を暴く韓国人には日本人の宗教観は理解し難いかも知れません。


文氏は正確な歴史を知らない人です。
 
彼の歴史認識はとても誤りが多く、韓国は日本を二度侵略しました。
最初の文永の役では、執拗に皇帝フビライに日本侵略を進言し、主力部隊として暴れました。
二度目の弘安の役では、首都の開城(ケソン、北朝鮮南部)から直線距離で900km以上も離れた元の首都、大都(北京)に参内し、参戦を願いました。
そして韓国はベトナム戦争にも参戦したように、大国の後ろ盾があれば進んで戦争をする国です。

以上のように過去の歴史を見る時、「韓国が他国を侵略したことが無い」は嘘であり、それどころか積極的に侵略に加担していますから、韓国が「神の心情の対象」と主張するのは無理があります。





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Last updated  2008.07.13 16:09:33
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