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February 23, 2024
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カテゴリ:文化

核実験の被害を追って

映画「放射線を帯びたX年後」が第3作へ

伊東 英朗

 

米ネバダの実験場で

今年7月、ラスベガスから車で1時間半、米国エネルギー省が管理する国家安全保障施設を訪れた。ここは、かつて「ネバダ核実験場」と呼ばれ、1951年から92年まで900回以上の核実験が実施された。そのうち、100回以上が地上、つまり大気圏で行われている。入口から見える山の向こうには核実験でできた巨大な穴が今も無数に残っている。

施設内に立ち入ることはできない。入口を背景にリポートを始めると、3台のパトカーが近づき、警察官から職務質問を受けた。ロソアによるウクライナ侵攻もあるなか、緊張が高まっていることを感じた。そして、黄土色の風景を眺めながら。荒涼とした広大な土地が核実験には絶好の場所とされたこと、そして、吹きやまない強風が実験で吹上垂れた放射性物質をはるか遠くへと運んでいくことを実感した。

核実験による被害といえば、日本ではマグロ漁船、第五福竜丸を思い浮かべるかもしれないが、核実験の被害はそれにとどまらない。それを知ることになったのは2004年。高知県に住むマグロ船・新生丸の元乗組員との出会いだった。元漁師の話は驚きに満ちていた。

元漁師は第五福竜丸と同時期にマグロ船に乗っていた。乗組員はおよそ20人。生きていれば60代から70代だが、その時、すでに多くが亡くなっていた。きのこ雲を見たこと、死の灰を被ったこと、港での検査でガイガーカウンターが異常音を発したこと……。衝撃的な事実の数々を、冷静に受け止められなかったことを覚えている。

 

立ち上がったセントルイスの女性たち

 

乳歯の調査から判明した実態

マグロ漁場のある太平洋海域で核実験が始まったのは、1946年。62年までに100回以上実施された。54年3月、第五福竜丸の被ばくを受け、日本では各地の港で放射能検査が行われた。その結果、放射能が検知された船は延べ92隻に上ったが、政府は年末には安全であると宣言し、検査を中止した。

しかし、その後も核実験は続いた。多くの漁師は〝死の海〟と化した漁場で漁を続け、その結果、被ばくを重ねたことを、取材を通して知った。

さらに核実験による放射能は地球を覆い、日本列島にも放射能の雨を降らせた。1950年代後半から60年代の新聞には、「放射能の雨」を報じる記事が掲載され、それを避けるため、傘やカッパが売り切れたといった記事も見られる。

同じ頃、米国で放射能汚染の実態を訴えるために立ちあがった人たちがいる。セントルイスに住む女性たちだ。1956年、米国公衆衛生局が公表した牛乳の汚染調査で、核実験場から遠く離れているはずのセントルイスが「ホットスポット」であることが明らかになった。女性たちは〝市民委員会〟を組織し、子どもたちの健康調査を始めた。

調査の対象になったのは「乳歯」。集められた15万本の乳歯を調査した結果、核実験の開始以降、入試に含まれる放射性ストロンチウムが30倍も増加していたことが判明した。これが転機となり、60都市でストライキが行われ、核実験反対運動が広がった。

63年、米国・英国・旧ソ連の3国によって部分的核実験禁止条約の調印が行われ、各国もそれに続いた。セントルイスの女性たちの行動が多くの人を救うことになったのである。

 

命を第一に考え行動する

私はマグロ漁船や日本列島の放射能汚染の取材を19年にわたって続け、関連番組を制作・放映し、映画も2本製作した((「放射線を浴びたX年後」「放射線を浴びたX年後2」)。国内外300カ所で上映し、人々にも自ら語り掛けたが、セントルイスで立ち上がったような運動は、残念ながら今も起こっていない。

そこで考えたのが、「米国全土に広がる放射能汚染を伝える映画を製作し、米国内で上映する」ことだった。現在の米国民の多くは、核実験で国土が汚染されている事実を知らないか、忘れているからだ。第3作の政策はそれをふたたび明らかにすることを目的に始まった。

汚染が米国本土に広がり、それが子どもたちの体に取り込まれていたこと、それを明らかにするための手がかりとなったのも前述した乳歯の調査だった。当時集められていた乳歯はセントルイスだけでなく米国各地の乳歯も含まれていたからだ。今回、セントルイスの地元紙が私の活動を紹介してくれたことから、当時乳歯を提供した人も見つかった。さらに調査を主導した女性の子息から当時の模様を聞くことができた。

ワシントン大学に保管されていた乳歯の分析を行う研究者や放射性物質の拡散図の作成に成功した研究者への取材も実現した。現在流通するはちみつの放射能汚染を調査した研究者から全米の放射能汚染の現状を聞くこともできた。

計38日間にわたった米国取材では30人を超える関係者や研究者を取材。それとともに明年の上映を目指し、現在、編集作業を進めている。上映活動を通して核実験によって多くの人々が被ばくした事実を知ってもらい、現存する核兵器の廃絶へ行動を起こすきっかけがつくられればと考えている。

セントルイスの女性たちが、そうしたように「命を守る」ことを第一に考え行動する。未来を生きる子どもたちの命と健康を守ることが何より大切なのだから。

(映画監督・ディレクター)

 

いとう・ひであき 1960年、愛媛県生まれ。民間放送局でディレクターなどを務め、現職。2004年、太平洋核実験によるマグロ漁船の被ばくの事実に出会い、放射能汚染に関する取材を始めた。公開された作品に「放射線を浴びたX年」(12年)、「放射線を浴びたX年後2」(15年)がある。

 

 

 

【文化・社会】聖教新聞2022.10.25






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Last updated  February 23, 2024 04:17:01 PM
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