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February 26, 2024
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カテゴリ:教学

8十一通御書 創価学会教学部編

 

幕府の関係者に次々と書状を送る

 

 大宰府(筑前国〈現在の九州北部〉に設置された外交・軍事を司る地方官庁)に、大蒙古国(モンゴル帝国)からの国書(正式な外交文書)が届きました。文永5年(1268年)1月のことです。国書はよく・月〈注1〉に鎌倉幕府に贈られ、2月に朝廷に報告されます。

そこには、蒙古と日本との国交を求め、それに応じなければ、兵力を用いる可能性がほのめかされていました。

幕府と朝廷はこれを黙殺。幕府は西国の守護(国ごとにおかれ、軍事・行政を統括する職)に蒙古からの襲撃を警戒させ、朝廷は諸国の寺社に異国降伏を祈禱させます。

3月には、64歳だった北条政村が執権から連署(執権を補佐し、公文書に執権と並んで署名する重職)となり、得宗(執権北条氏の家督を継ぐ者)である18歳の北条時宗が執権についています。時宗は北条時頼の子です。国難に対処すべく幕府の態勢を整えたのです。

日蓮大聖人が「立正安国論」で予言された二難の一つ、他国侵逼難(他国からの侵略)が、8年を経て現実味を帯びて迫ってきました。大聖人47歳の時です。

 

 

預言の的中を強調

国書の到来を伝え聞かれた大聖人は、同年4月、幕府の中枢に関係があったとされる法鑑房に「安国論御勘由来」(新46・全33)を送られます。

その中で大聖人は、正嘉の大地震、飢饉、疫病について言及し、「立正安国論」を著された御心情を披歴されます。

そして、蒙古からの国書の内容が「立正安国論」の主張に符合したと強調し、大聖人の教えを用いるように訴えられています。

 

 

宿屋入道に面会を申し入れ

ところが幕府の反応はなく、大聖人は、同年8月には、「立正安国論」提出の際に仲介した宿屋入道に書状(「宿屋入道への御状」)を送り、謗法の諸宗がこの難に対して祈禱を行うなら、ますます事態を悪化させるだけであることを訴え、面会を申し入れられます(新852・全169、参照)。これにも返事がなかったため、翌月にも書状(「宿屋入道への再御状」)を送られます。

立て続けに幕府関係者に向けて書状を送られたことから、緊迫した状況の中で、何としても国を守り、人々を救わなくてはいけないとの烈々たる御覚悟と大慈悲が拝されます。

いずれの書状にも、〝自分のためではなく、ただ国のため、民衆のためである〟という御心境が綴られています。

 

 

ただ国のため、民のため

 

 

民衆あっての為政者

しかし、再度の書状にも、宿屋入道から反応はありませんでした。

そこで大聖人は、翌10月、執権・北条時宗をはじめとする幕府要人や鎌倉の有力な寺院の僧侶たち、合わせて11カ所に書状を送り、「立正安国論」の主張を用いるよう迫られました。これらの書状を総称して「十一通御書」といいます〈注2〉。

大聖人は北条時宗に対して、「国家が安泰であるか危うくなるかは政治が正しく行われているか否かにあり、仏法の聖者は経文という明鏡による」(新854・全170、通解)と、誤った教えを説く諸宗の寺院への帰依をやめるよう訴えています。

宛先の一人、平左衛門尉頼綱は得宗被官(得宗家に仕える家臣)であり、後に絶大な権力を握ります。

頼綱に対して大聖人は、「貴殿は、一天の屋梁たり、万人の手足たり」(新586・全171)と呼びかけられます。

為政者の在り方を示し、その責任を果たすよう強く促されたのです。

池田先生は、「まさに、民衆あっての為政者であり、どこまでも民衆が主人であるとの大宣言であったのである」(『新・人間革命』第2巻「民衆の旗」)と、書状の意義を示されています。

 

 

幕府権力と結びつく仏教界

この時、鎌倉では、禅宗と真言律宗(西大寺流律宗)が幕府に関係していました。

大聖人が立宗宣言された建長5年(1253年)、北条時頼が臨済宗の禅僧・蘭渓道隆を開山として、鎌倉に建長寺を創建します。正式には「建長興国禅寺」といいます。

落成に際して、天皇家や将軍家、幕府の重臣の安泰と天下泰平を願うとともに、源氏三代将軍と北条政子、亡くなった北条一族を弔う供養が一度に行われています(「吾妻鑑」)。鎌倉における初めての本格的な禅宗寺院でした。以後、幕府の政策の一翼を担う宗教勢力としての全集は大きな発展を遂げます。

その後、禅宗と並んで幕府を支える宗教勢力として興隆したのが真言律宗であり、その中心人物が良観(忍性)でした。

良観は、建長4年(1252年)から関東で活動し、大聖人が伊豆への流罪に処された弘長元年(1261年)に鎌倉に進出します。翌年、良観の師である叡尊(思円)が鎌倉を訪れ、時頼ら幕府要人に授戒し帰依を受けました。専修念仏(浄土宗)の中心人物であった道教(念空)にも授戒し、鎌倉では宗派を問わず戒律尊重が一般的になりました。

良観は、衆生救済を掲げ、道路建設や困窮者の救済など、幕府の許可を得て港や道路などを管理し、津料(港の使用料)や関銭(関所の通行料)などを徴収して、その収益を運用しました。これは、一種の利権を手に入れたことでもあり、良観が活動の拠点とした極楽寺には多くの富が集まりました。

また、病人の衛生・治療や、貧しい人への施しなど、非人と呼ばれた人々の救済にも取り組みましたが、一方で、彼らを管理し、労働力として使役していました。

 

 

池田先生の指針から

諫暁とは、真実を語り、誤りを正すことである。当然、それは法難を呼び起こすに違いない。しかし、すべてを覚悟のうえで、大聖人は真実を説かれ続けた。

そこには、大切な民衆を、そして、一国を救わなければならないという、大慈悲の信念がある。真実の仏法への絶対の確信がある。

山本伸一は、(「北条時宗への御状」の)講義では、この大聖人の諫暁の精神を受け継いで、軍部政府の弾圧と戦い抜いたのが、牧口初代会長、戸田二代会長であり、そこに創価学会の、輝ける不滅の歴史があることを語っていった。

(中略)

「政治の善し悪しは、人びとが生き、幸福になっていくうえで、極めて大きな役割を果たしています。その政治が民衆を忘れ、政治家の権力欲や名誉欲、あるいは、派閥の力学で左右され、理念も慈悲もない政治が行われていけば、民衆は不幸です」(小説『新・人間革命』第6巻「加速」)

 

 

「僣聖増上慢」と暴く

道隆、良観も「十一通御書」のあて先となっています。幕府と結びついていた、これら諸宗の僧らに対して、大聖人はただお一人、その正体を見抜き、敢然と言論闘争を挑まれます。

良観は前年(文永4年〈1267年〉)に極楽寺に入りいよいよ権勢を広げていました。良観への書状で大聖人は、「(良観は)僣聖増上慢であり、今世では国賊であり、来世では地獄に堕ちることは間違いない」(新861・全174、通解)と追及されています。

「僣聖増上慢」とは、世間から尊敬されながら、内実は悪心を抱き、世俗の権力を利用して法華経の行者を迫害する高僧のことです。

 

 

自らの闘争示し門下に決意を促す

 

 

門下と共に

幕府要人や鎌倉の諸大寺の僧侶ら11カ所に書状を送られた際、大聖人は門下一同にも書状を送り、迫害への覚悟を促されます(「弟子檀那中への御状」)。

各所に進言した理由について、「しかも強いてこれを毒す(而強毒之)」という天台大師智顗の言葉(「法華文句」)を引かれています。正しい教えを聞きたがらない人に対しても、強いて説くことによって仏縁を結ばせるという意義です。

加えて、「今こそ生死の束縛を断ち切って、仏という成果を完成しなさい」「日蓮のところに来て、書状などをご覧なさい」(新866・全177、通解)とも仰せです。

すでに伊豆流罪や小松原の法難などを勝ち越えてこられた大聖人が、自らの御闘争を示すことで、門下に対して共に立正安国の言論戦に立ちあがるよう、決意を促されたと拝されます。

この烈々たる気迫による大聖人のはたらきかけを、幕府も諸宗も黙殺します。

翌・文永6年(1269年)、再び蒙古より国書が届きました。

予言の的中によって、大聖人の主張に耳を傾ける人が増える一方で、大聖人から批判された諸宗は危機感を深めていきます(新1273・全1515、新1354・全999、参照)。(続く)

 

〈注1〉     旧暦(太陰太陽暦)で、月の運行による暦年が太陽の運行によって定まる季節とのずれを調整するために、ずれが1カ月になると、同じ月を2度繰り返して1年を13カ月とした。この月を閏月という。

〈注2〉     北条時宗、宿屋入道、平左衛門尉頼綱、北条弥源太(北条氏の一門と考えられる大聖人門下)、建長寺道隆、極楽寺良観、大仏殿別当(鎌倉の大仏を安置した営舎を管理する役職)、寿福寺(臨済宗建長寺派)、浄光明寺(浄土宗など諸宗兼学)、多宝寺(当時、極楽寺の管理下にあったと考えられる寺)、長楽寺(浄土宗)の11カ所。

 

[関連御書]

「安国論御勘由来」、「宿屋入道への御状」、「宿屋入道への再御状」、「北条時宗への御状」、「平左衛門尉頼綱への御状」、「極楽寺良観への御状」、「弟子檀那中への御状」

 

[参考]

『池田大作全集』第32巻(「御書の世界(上)」第八章)、小説「新・人間革命」第11巻「躍進」

 

 

 

||御生誕満800年記念||日蓮大聖人―誓願と大慈悲の御生涯】大白蓮華202211月号






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Last updated  February 26, 2024 07:05:46 AM
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