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カテゴリ:文化
麻阿と豪 戦国を生き抜いた姉妹の絆 作家 諸田 玲子
<乱世の世>が過去のものとは思えない昨今ですが、関ヶ原で勝利し、大坂の陣で豊臣を壊滅させて徳川幕府が盤石になるまでは、明日はなにが起こるか、昨日の見方は今日の敵で、親子や兄弟でさえ戦わなければならない世の中があたりまえでした。 この時代、戦が武士の仕事なら、大名諸将の娘たちの仕事は結婚でした。政略結婚をさせられた、というのとは少々ニュアンスが違い、結婚とは政略そのもの、女にとって当然の役目だったのです。徳川家康でいえば母の於大は二度、嫡男秀忠の妻お江は三度、孫の千姫は二度、祖母のお富に至っては五回(多説あり)も結婚しています。於大もお富も、婚家との縁が切れても家康への援助を絶やしませんでした。家の存続さえ危うい時代なればこそ、血縁の絆がいかに強かったかがわかります。 こうした例は多々ありますが、加賀百万石といわれる大大名家を築いた前田利家とまつ夫妻の娘たちも同じでした。まつが腹を痛めて生んだ女子は八人(七人とも)。早世した三人を除く娘たちの嫁ぎ先を見ていくと、幸は同族の重臣、麻阿は柴田家(今でいえば上司)の猶子(家臣との説も)、豪は宇喜多家、千代は細川家で、みな大名家か重臣の家です。この中の豪は秀吉(のちの豊臣)とおね夫婦の養女ですから、宇喜多秀家との結婚を定めたのは秀吉です。もう一人、与免という娘がいますが、やはり大名の浅野家に嫁ぐことになっていたところ、婚礼の寸前に急死してしまいました。
数奇な運命をたどりつつ 懸命に助け合った女たち
私はこのたび数奇な運命をたどった麻阿と豪を主人公にした小説を上梓しました。二人は戦国の世を体現した生き証人の如き存在です。麻阿は柴田家の北ノ庄城へ嫁いだものの落城、命からがら脱出したのちに秀吉の妻となり、のちに公卿の万里小路充房の後妻となって一子を生みます。苦悩しつつ流転を重ねる姉と違い、蝶よ花よと育てられた豪は幸せな結婚生活を送っていましたが関ヶ原で一変、夫と息子たちは八丈島へ流罪となり、昇進を抱えて金沢へ帰ります。人の幸不幸はまさにあざなえる縄のよう、嫉妬や反感もあったはずですが、めまぐるしく変わる明暗はむしろ姉妹の絆を強めてゆきます。 細川家に嫁いだ千代が、関ヶ原戦の直前、姑の細川ガラシャの非業の死で窮地に立たされたとき、麻阿と豪は見事な連係プレーで妹の脱出を助けています。また敗戦の章となった宇喜多秀家の逃亡中は、麻阿と千代が裏で手を携え、傷心の豪を支えました。 それぞれが他家へ嫁ぎながら、姉妹が助け合って戦乱の世を生き抜く――殺伐とした時代の中で懸命に己の役目を果たそうとする女たちの姿は、私たちの胸にささやかな光を灯してくれることでしょう。 (もろた・れいこ)
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Last updated
February 29, 2024 05:20:05 AM
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