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放出ゼロを目指す宣言が採択 尾松 亮
海洋汚染の削減課す条約 英国北西部セラフィールドで1994年に使用済核燃料からプルトニウムとウランを分離するソープ再距離工場が運転を開始して以降、放射性物質による海洋汚染の拡大が深刻な国際問題となった。隣国アイルランドだけでなく、北欧諸国からも再処理を停止するよう求める声が高まった。 この問題を受けて、97年には北東大西洋沿岸諸国15カ国の閣僚会議が行われた。この会議で、英国のミーチャー環境大臣(当時)は「英国は核廃棄物と化学物質の海洋放出をできる限り早く終了する」と述べたが、「できる限り早く」とはいつまでなのか確実な約束はなかった。 このなか、「海洋汚染低減に向けた法的効力ある合意を確立し、その実現に向けた国際ルール作りを後押ししたのが98年に発効したOSPAR条約(北東大西洋の海洋環境の保護を目的としたオスロとパリ委員会での条約)である。 オスロ条約(欧州投機規制条約1972)とパリ条約(陸上棋院海洋防止条約1974)に基づき、74年に設置されたオスパール委員会の活動がOSPAR条約の基礎となっている。同条約加盟国は再処理工場を抱えるフランスや英国、セラフィールドの停止を求めるアイルランドやノルウェーなど、北東大西洋洗顔諸国15カ国とEUである。 97年にフランスが同条約を批准して以来、英国は海洋放出削減への姿勢を明確にすることをより強く求められるようになった。「欧州では英国以外で唯一再処理施設を持つフランスが技術的に可能な範囲でゼロ放出を目指す目標を受け入れる政治決定を行って以降、英国に対する圧力は強まっていた」と当時の新聞は指摘する。 98年7が血22・23日而ポルトガル・シントラ市で行われた締約会議では、15カ国の代表者らが集まり、海洋汚染を削減するための法的拘束力のある戦略を議論した。その結果、「2020年まで放射性廃棄物の海洋放出を限りなくゼロにする」との目標が採択された(シントラ宣言)。 それまでの英国の放射性廃棄物を巡る方針は「海水と混ぜて拡散すればよい」というものだった。この方針は根本的に見直され、放出の全体量を減らすことが求められた。 「混ぜて拡散する」という方針は、日本政府の福島第一原発の廃炉に伴う処理水処分に関する方針と重なる。欧州では24年前に否定された政策である。 (廃炉制度研究会代表)
【廃炉の時代―課題と対策―㊽】聖教新聞2022.11.8 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 1, 2024 07:44:52 PM
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