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March 4, 2024
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カテゴリ:文化

「樋口一葉生誕150 我が筆とるはまことなり

――もっと知りたい樋口一葉」展

山梨県立文学館学芸課長  保坂 雅子

山梨ゆかりの作品や手紙など

人々との絆、その生涯を伝える

 

山梨県立文学館では、樋口一葉(本名奈津 187296)を、1989(平成元)年の開館より、山梨ゆかりの文学者として常設展で紹介している。さらに、これまで何度か一葉に関連した展覧会を行っているが、生誕150年を迎える本年、改めて一葉の生涯とその分行を紹介する企画展を開催している。

一葉は、1872(明治5)年に父則義、母たきの次女として東京で生まれたが、両親は現在の広州市塩山中萩原の出身。残念ながら、一葉が山梨を訪れた記録は確認されていないが、一葉が親戚や知人に宛てた手紙から、山梨の人々との絆をうかがうことができる。また、1895(明治28)年5月発表の小説「ゆく雲」は、両親の故郷大藤村が舞台の一つになっており、笛吹川、勝沼など、甲州の風景が描かれている。「ゆく雲」は、後に「奇蹟の十四カ月」と呼ばれる「たけくらべ」や「にごりえ」などの傑作を書き上げた期間に発表された作品で、代表作に続く作品群の一つとして注目されている。

一葉が小説を書き始めたのは則儀が亡くなり、17歳で母と妹を養う身となった1889(明治22)年頃だが、きっかけは、同じ歌塾に通う先輩が小説を書いて報酬を得たことだった。少しづつ発表の場を広げていったが、小説で生計を立てることの難しさを悟り、1893(明治26)年7月、新吉原近くの竜泉寺町で、雑貨や駄菓子を扱う店を始める。一葉は商売のかたわら、上野の図書館に通ったり、日記や随筆の筆を執ったりしたが、売り上げは思わしくなく、一年弱で店を閉めることになった。

1894(明治27)年5月、一葉一家は本郷区丸山福山町(現在の文京区西片)に転居。一葉最後の住居となったこの家には、文芸雑誌「文学界」の青年たちや、文壇人、博文館の雑誌に作品が発表されると、一葉の小説家としての名声はにわかに高まっていった。当時の文壇の大家である森鴎外は「此人にまことの詩人といふ称をおくることを惜まざるなり」と絶賛し評判となった。

さらなる活躍が期待されたが、結核の病状が悪化し、1896(明治29)年1123日、24歳の生涯を閉じた。

本展では、「たけくらべ」や「にごりえ」の下書き原稿、親戚・友人・知人に宛てた手紙、鏑木清方が「たけくらべ」の主人公美登利を得がいと日本が、愛用の文机、髪飾り、着物など、約120点の資料を展示している。さらに、今回は、都留文科大学国文科の学生に協力を依頼。「一葉が現代に生きていたら」と仮定して、「たけくらべ」の主人公美登利が、現代の言葉でTwitter(ツイッター)に投稿している画面や、一葉の手紙の現代語訳などをつくってもらいパネルで展示している。100年以上前の文学の魅力を、大学生の感性が現代のツールによって表現する試みを是非ご覧いただきたい。

(ほさか・まさこ)

 

 

 

【文化】公明新聞2022.11.9






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Last updated  March 4, 2024 05:45:39 AM
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