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カテゴリ:コラム
生きとし生けるもの 作家 一色 さゆり 三年前、庭にクチナシを植えた。 もとは鉢で育てていた苗を、思い切って地植えしたのだ。それ以来、手塩にかけて育てている。 初夏になると、純白の花が甘い香りをただよわせる。「喜びを運ぶ」という花言葉らしい。 わが家のクチナシは孝行者で、初秋にも咲く。しかも一ヶ月以上、つねに三、四輪は開花する。 季節の巡りを告げてくれる、大切な存在だ。 ただし「手塩にかけて」と言ったように、クチナシの世話において悩みは多い。 あぁ、また食べられている――。 何度、そう憤ったか知れない。暑い時期に放置しておくと、新芽が丸坊主になっている。 対応は以下だ。 まずは。葉に点々とついた、約一ミリの丸い黄緑の卵に、目を凝らすこと。指でとって、プチッと潰す。 でもいくつかの卵は必ず見逃される。小さな幼虫が生まれて、すごいスピードで葉を食べる。数日で三センチほどに成長するので、殺虫剤で対応するしかない。 観察すると、同じ虫が葉を食べていた。 身体を縦にして飛ぶ、羽根の透明な蛾だ。『羊たちの沈黙』に登場する蛾に似ている。同じスズメガ科で、オオスカシバというらしいが、私はひそかに「レクター博士」と呼んでいる。 美術作品では、虫に食われた葉も、また自然がつくりだした造形であるとして尊ばれる。 たとえば、伊東若冲の動植綵絵に描写された葉の多くは、穴があいたり枯れたりしている。 茶室の設えでも、完璧な茶花だけでなく、ありのままの姿が好まれているのを何度か見かけた。絵本は『はらぺこあおむし』もほほ笑ましい。 生きとし生けるものはみな平等――。 そう分かりつつ、手塩にかけて育てているクチナシにつく虫は、やはり私にとっては天敵だ。
【言葉の遠近法7】公明新聞2022.11.9 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 4, 2024 04:39:19 PM
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