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TOKYO!
Michel Gondry Leos Carax Bong Joon-Ho 110min(1:1.85) (つづき) 第2話『メルド』レオス・カラックス監督。 まずはタイトルについて。決して美しい言葉ではないけれど、物事が思い通りにいかないときや、何かが気に入らないと、「チクショウ!」とか「クソ!」と言う。その正に「クソ!」にあたるのが「メルド」だ。フランス語の merde とは糞の意味。間投詞で Merde! と言えば「クソ!」の意味だ。実に日仏共通の言語感覚と言えるかも知れない。 この第2話はドゥニ・ラヴァン演じる、緑色の服を着た謎の怪人がマンホールから現れては悪事(果ては殺人まで)を働き、TOKYOの街を混乱におとしいれる。怪人は乱雑な長髪にヒゲ、シャツなどは着ずに緑色の薄汚れた厚手の背広を裸身に身につけ、パリの浮浪者の姿だ。やがて捕らえられて裁判に付されもするのが、彼が気に入らない、ムカつく、正に「メルド=クソ!」と感じるのはいったい何であり、何故なのか?。 世の中には人種差別というのがある。これは差別する側の人々にとって、実に安易な自己存在意義の確認方法だ。例えばナチ時代のドイツ。何の取り柄もなく、周囲からさげすまれバカにされる、どんなにみすぼらしいと自分を感じている人にも、ただアーリア人種でさえあれば、どんなに有能で、金持ちで、社会的地位の高いユダヤ人よりも自分の方が偉いと思わせてくれるのが人種差別だ。もっと卑近に、ブランド物を身に着けることである種のステータスを感じて「バカにされない側」の仲間入りをし、そうではない人々に対する優位を感じる。ヴィトンのバッグは持つ者をアーリア人種にし、持たない者をユダヤ人としてくれるアイテムなのだ。 もっと広く「普通」とか「当たり前」といった価値観や世界観にあることの安心感。普通、つまりは世の中の主流、これは物的であると同時に思想的問題だけれど、その主流のみを正しいと考えて他を蔑視すること。こうした事々は世界の何処にもあるけれど、日本(あるいはTOKYO)はある面で顕著かも知れない。少なくも沖縄にいると東京の社会はそうだと感じる。今「ある面」と書いたのは、日本よりはるかに頑強な差別が例えばフランスの社会にはあるからだ。だからここで言うのは大多数の大衆の持つ心性的傾向のことだ。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.21 01:21:26
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