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コトノハ~慧真館~

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Nov 19, 2009
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重松清さんの『気をつけ、礼。』という本を読んでいる。
古巣の大手塾時代の先輩から誕生日祝いに頂いた本だ。
数年前この先輩に重松清の本を紹介してもらってからというもの、重松中毒にかかってしまった。

『気をつけ、礼。』は、学校教師と生徒の関係を描いた6つのストーリーからなる短編集だ。

学校の教師はいつの時代も完璧を求められている。
一昔前、私がまだ産まれていない頃、学校の教師は「聖職者」とまで言われていたようだ。
「先生の言うことは絶対正しい。」「先生に逆らうとは何事か。」と、まるで先生は神様か絶対王政の王様のようだった。

時代が変わり、「聖職者」と呼ばれていた時代が嘘であるかのように、世間の学校の教師に対する目が厳しくなっている今でさえもなお、学校の教師は完璧を求められている気がする。
学校教師が事件や事故を起こせば、普通のサラリーマンだったら見過ごされる小さなことでも必ずニュースで取り上げられ、「学校の教師の質が落ちた」と批判を浴びる。
学校の現場でも、保護者や生徒は学校の教師に完璧を求め、少しミスでも「それでも学校の教師か」と罵倒する。

しかし、教師は神様でなければ仏様でもイエスキリストでもない。
教師といえども、他の人と同じように、自分の人生を泥臭く生きている一人の人間である。
迷うこともあれば分からないこともある。
万人を等しく受け入れることなんてできるはずもなく、好き嫌いだってある。
極論を言ってしまえば、嫌いな生徒の1人や2人くらいは存在するだろう。

『気をつけ、礼。』に登場する学校の教師は、良くも悪くも一人の泥臭い人間である。
教師は完璧だという綺麗事を抜きにして、厳しい現実や教師の本音を織り交ぜつつも、どこか温かい人間と人間の関わり合いを描いている。

この本を読みながら、学生時代の先生のことを思い出す。
大好きで尊敬していた先生のことも、反抗ばかり繰り返していた大嫌いだった先生のことも。
不思議と授業の内容は一切思い出せないが、先生に怒られたこと、殴られたこと、先生が私に言ってくれたことばかりが思い出される。

あの頃は私も先生に完璧を求めていた。
完璧を求めていたがゆえに、許せないことも、反抗したこともあった。
しかし、今なら少しは分かる。
先生自身ももがき苦しんでいたことも、先生が本当に伝えようとしていたことも、なんとなくわかる気がする。

私も今は、場所は違えど人にものを教える側の人間になった。
生徒にとって「嫌いな先生」でも「好きな先生」でもどちらでもいい。
決して完璧ではない私なのだから、万人に好かれるような先生にはなれない。
しかし、時が経って、かつての生徒が私が教えた教科の内容をすべて忘れてしまったとしても、それでも生徒の心に何かが残っているような先生に、私はなりたいと思う。






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Last updated  Nov 19, 2009 11:21:14 PM



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