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学会もようやくのこと、二日目。
本日から、えらいさんたちが発表を始める。 今日は午後1時からのスタート。 その前に、タプトン・ホールの近くのパブで昼食が用意されていたので食べに行った。 そこには、すでに何人かこの会議に参加する学者さんたちが着ていた。 スー(こにしき)がいた。 「こっち、こっち、あはははは~~~~」 昨日、クックさんが来たときは少し緊張気味だったが、 いつもの豪快な調子に戻っている。。。 ステーキ・バーガーを注文して、座っていると、 ドン・キーンがやってきた。(わたしの指導教官ね) 相変わらずのやんちゃな笑顔で、 「おう、どうだったよ、発表? まあ、うまくいくに決まってるわな。 俺様がみたところ、問題ねえからよ。 わはははは。いえー!」 てな調子でわたしに声をかけ、遠くの空いている席に座った。 わたしが発表やること決めてから、遊びに行って連絡取れなかったくせに。。。 とか少し思ったが、まあドンはなんか憎めないやつだ。。。 昨日発表したY子さんと、同じシェフィールド大のM子さんがやってきた。雑談する。 その中に、シェフィールド大教授、グレッグ・クックさんが入ってきた。雑談が続く。。。。 Y子さんがクックさんに言った。 「先生。かみぽこさんの指導教官は、ドン・キーンなんですよ」 そして、いたずらっぽく笑いながら続けた。 「先生、また孫が増えましたね。。。」 ここまでは英語の会話なのだが、 ここで突然クックさんが、 「オー、ワタシ、マタ、オジイチャンニナッチャッタネ」 と笑いながら日本語を話した。。。 思わず、うわっ! って感じだった。(ただでさえあわて者のかみぽことしては。。) まあ、日本語はぺらぺらだと聞いていたんだけど、突然話されるとね、あわてるよね。 ところで、おじいちゃんー孫とはどういう意味か。 要は、グレッグ・クックさんというのは、これまで博士課程の学生を多数面倒見てきて、その人たちが一人前の学者になってまた博士課程の面倒を見るようになってきていると。 例えば、ドン・キーンというのは、シェフィールド大PhD、 指導教官はクックさん。だから、わたしはクックさんの孫弟子ということになる。 ちなみに、いっしょに来ている先輩のAさんは、うちの学校の別の先生が指導教官だが、この人もクックさんの弟子。 従って、Aさんはクックさんの孫弟子で、わたしとは従兄弟関係になる。 更に言えば、以前日記に登場した、別の先輩のT.Tさんは、Aさんと双子の兄弟で、わたしとは従兄弟。 もう1つ言えば、シェフィールド大のY子さんとM子さんは、クックさんが指導教官だから、なんとわたしの「おばさん」になる。(Y子さん、M子さん、ご、ごめんなさい。い、いらんことを言いました。。。。。) え~~~~。 自分でもよくわかんなくなってきたが、 要は、この学会に出席している人は、 指導教官ー学生の関係を親子だとすると、 その多くが縁戚関係、ということになってしまうのだ。。。 わたしは、この昼食でのやり取りを聞いて、 正直少しうれしくなったのです。 なぜなら、このHPを読み返してもらうとわかるが、 わたしの研究生活は、これまでなんとも孤独感を感じることが多かったからだ。 ソフィアの不在、奨学金の問題、研究室の問題、果ては英国政治学協会会長にタコ足を買わせてしまったなど。。。 周りの学者とのつながりとか、感じたこともなかった。 これがよかったと思える面もある。 恵まれた環境だと、たぶんわからなかっただろうことも多い。 しかし、正直これほど孤独だと、 学者としての自分のアイデンティティーすらよくわからず、日々迷っていたのは事実だ。 例えば、わたしは自分自身を人に紹介するとき、よく 「わたしはずっと働いていたんで、学問の世界はよくわからないんですよ。。。」 とある意味自虐的に言っていた。 外国に流れてきていることもあって、 自分は学者としては根無し草、氏素性のわからぬ者、 という負い目があったのは事実。。。 また、日本の学界がコネ社会と聞くにつれ、 現状そんなものないわたしは暗く考えてたのも事実。。。 「オジイチャン」との対面は、 わたしの存在証明というか。。。 いや、まあそんな難しいことではなく、 単純にうれしかったですね。 それでは、また お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年09月16日 06時50分08秒
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