テーマ:西海国立公園(210)
カテゴリ:Goto Islands
魚目という名前は、鎌倉時代の文献から登場しますが、古くは「魚目浦」といわれ、魚が群れをなして集まることから、“うおのめ”と呼ばれていた様です。しかいながら、2004年8月の町村合併で、800年に亘って使われた歴史ある地名が消えることになりました。
現在の奈良尾町、若松町、上五島町、有川町、新魚目町が合併して、新上五島町となるからです。 明治初期の廃藩置県後は、魚目村南部及び北部と呼ばれていましたが、1888年に分村、1956年に国の町村合併促進法によって二つの村が合併し、新魚目町となりました。 新魚目町の南に位置する榎津港は、竹の子島が天然の防波堤になっている良港ですが、人工テトラポッドが多すぎて景観が損なわれています。 榎津の地名の由来は、エノキが多く群生していたことで、樹齢数百年のエノキの大木も残っています。 12世紀末に豪族宇久氏が榎津に上陸し統治、その後五島藩管轄となります。1661年この地方一帯が五島藩と富江藩に分かれ、魚目は富江藩管轄となります。その後漁業権で両藩は紛糾し、捕鯨権では江戸公訴にまで発展、幕府の裁決で漁域は定められた様です。 上五島の島民は平地が少ない為漁業を頼りに生活して来たのですが、魚目の漁業は明治開花と共にマグロ、イワシ、ブリ漁が盛んになり、榎津港には大漁期には鮮魚運搬船も活発で大いに発展しました。今では定置網漁の水揚げが開発や埋め立てによって減少し往時の面影はありませんし、若者は島を離れてしまい、老人ばかりが残る状態となりました。 しかし、平地が少ない上五島にあって浅い海岸線の続くこの一帯は、埋め立てによる商業施設の整備が進められていますし、台風の影響の少ない榎津港の拡充によって、歴史ある地名が消えても上五島地域再生の中核地区となる可能性は大きい様に思います。 1203年に設立された榎津神社から榎津港、有川湾を展望した写真です。 対岸正面に見えますのは上五島随一の蛤浜海岸、驚く程遠浅の海浜です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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