今日は絶好の快晴で気持ちの朝を迎えていますが、14年前はそぼ降る雨の中、入院していた病院から家内の遺体が運ばれて来ました。
中国大連生まれで、義父の南満州鉄道の中国への経営権引き渡し手続きの為、1年遅れの帰国、五島列島の榎津郷で19才迄育つことになりました。
私と結婚してからも、よく新上五島町榎津郷にあって空き家となっている実家の世話をすべく、夏の五島を楽しみながら滞在してものでした。
家内は幼児から熱を出す子で、帰国の際も連れて帰れるのか心配されましたが、何とか帰国後、当時開発された抗生物質ペニシリンで健康に治癒されることになりました。
しかしながら、65才の老齢になりますと息切れが酷く、長期間の歩行が難しくなり、種々の病院で診察を受け、川崎市多摩病院で難病の「間質性肺炎」と診断されたのです。
入院3ヶ月、退院後通院治療を受け、飲み難いステロイド剤を服用して病状の停止を図ったのですが、思いは通じず、14年前の今日、66才で鬼籍に入ることになりました。