カテゴリ:散歩他
種の直径は約5mm程、軸は約7cm、プロペラ部分は約12cm。 我には何の種なのか沓として知れないが、昨日の芸術の森のお土産として持ち帰ったもの。 随分前に同じく芸術の森美術館にてかつて観た作品の中、半透明の紙に種を挿み、切手大の大きさに切り取り線を穿った美しい作品があり、半透明の紙で種の全てを見ることができないもどかしさと、小さな種の立体(膨らみ)が存在感あり、暫し眺め続けたことがあった。 それ以来「種」というものに僅かばかり強い興味を持って見てきたのだが、種を撮影するにはマクロレンズが必要で、もっと云えば顕微鏡写真の装置も必要で、一人気にしてみていることで満足をしていたのだが、上の画像の種を見つけたときには小躍りした。 植物の種とは動物ではどのような状態なのか、それを比較してはいけないことなのか分かりはしないながら、この小さな(画像の種は大きいが)種が、木であれば百年、千年の可能性を秘めたもの、草花であっても短時間に百花繚乱するであろうし、人の種であれば手をかけないことには育つことはできない。 DNAという記憶の塊と思ってはやや鼻白むものながら、端的に「種」という存在に宇宙を見るが如き気持の揺蕩い(たゆたい)を覚えるのである。 人も動物も植物も病む。 そして、いずれ終焉を迎える。 種の保存のために生き物は強い子孫を残すと言われるのだが、今日我はまるで神の如く、昨日拾った種をためつすがめつして、撮影までして慈しむ。 その後は知らない、ゴミ箱に抛ってしまうかもしれないし埃まみれで転がるのかもしれないし、土がある場所に戻すかもしれない。 種、それは全ての可能性を持ちながら、生まれる前から状況に翻弄されるもの。 その種を楽しむ予感がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.19 20:01:07
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