カテゴリ:生活
お見舞いは難しい。
怪我であれば、「暇してるかぁ」と、おやつでも持ってブラリと訪ねることができるのだが、治療が大変な病気であれば病に伏せる心情を察して見舞う機会を失うこともある。 友人が遊びに来た。奥さんが大変な病で厳しい治療を続けてきたのだが、治療の成果が上がり近々退院が見込まれると云う。 喜びつつも見舞えなかった不義理を謝ると心情を理解してくれていた様子で心の重荷が解けたのだが、齢を重ねれば自らも含めて、病に伏せる機会は増える、難しいとばかりは言っていられないのだが、自らの意見でいえば、病の顔は見られたくない。 心の問題であるから考えすぎる必要はなく、心の赴くままと考えてみても、病の見舞いとは難しい行動である。 人並みに友人を持ち、今現在病に伏せる友を持つ身として、元気づけたい、顔を見たいと思いながら、行動を躊躇う歯痒さを感じている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.03 22:29:06
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