「ケンジ あの日あの人は歌っていた」北村想
沖縄のサトウキビ畑の真ん中で頭を陽に焼かれながら読んでいた本はなんだったろうか。雪に閉ざされた厳寒の北国でストーブの前に座り込んでこの本を読み終えケンジの年頃の自分を思い出していた、飄々と芝居を続けて優れた作家になった彼とは当然違って私はその頃すっかり芝居を捨てていた。しかし若い頃の行いというものはひりひりとして想起するにも勇気がいる、彼のような思い出作りもあった気がするし、痛切な思いで去ってゆく友人と別れたこともあった気がする。尾辻克彦の「雪野」もそんなひりひりとする物語であった、サンドイッチマン(死語かな?)をしながら「存在することが仕事である」と自分に言い聞かせるようなストイックな若者、雪野とケンジと自分を重ね合わせて…くしゃみをした。とでも言葉を終わらせるほかない。