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鎌倉橋残日録  ~井本省吾のOB記者日誌~

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2013.09.24
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カテゴリ:政治・行政
 前回のブログの補足をしたい。前回は安倍首相が東京電力福島第一原発5・6号機を廃炉にするよう「要請」したのは、「法の支配」の逸脱であり、がっかりしたと書いた。これでは2011年春に当時の菅直人首相が中部電力の浜岡原発停止を要請したのと同じではないか、と。

 私がこの問題を重視するのは当時、普段は見識のある発言や行動をしていると思っていた経済人や識者までが、菅首相の要請を「英断だ」と評価していたからである。
 
 当時はそれほどフクシマ事故による放射線汚染に対する恐怖感が広がっていた。しかし、だからと言って、法的ルールをないがしろにしていいことにはならない。

 法治国家のもと、法のルールにしたがって安心した生活を送る。これが基本であるべきだ。言論の自由や集会・結社の自由、営業の自由も法律のルールに基づいて認められている。その原則が侵されては危ない社会になる。何を頼りに生きればいいのか、という不安である。

 「でも、原発事故の恐怖が迫っているのなら、政府の超法規的行動は許される」。多くの日本人はそう考えているフシがある。少なくとも菅首相の「要請」に対してはそうだった。

 自動車だって欠陥があればリコールし、問題点が改まるまで生産を一時停止するではないか、といった理屈だ。

 ちょっと持ってほしい。同じ型式、同じ部品の車の欠陥を改めるのと、原発の停止とは大きな開きがある。福島第一原発と浜岡原発は違う型式の車と言う方が適切だ。

 むろん、原発なのだから似た点はある。だから福島原発と同様の問題が発生しないか、十分な点検は必要だ。具体的には大津波に耐えられる防潮堤があるかどうか、津波が発生しても非常用電源を喪失しないような仕組みができているかどうか。

 しかし、その点検、整備は福島原発を稼動させながらでも可能なのである。高速道路のトンネルで天井の崩落事故があっても、政府は全高速道路を封鎖しはしなかった。車の通行を許しながら点検した。
 
 もちろん、全高速道路ですぐにも天井崩落事故の発生が明らかになれば、すべての通行を停止すべきだろう。

 だが、その場合も、しかるべき法律に基づいて実行すべきなのである。浜岡原発の場合は、それがなかった。だから、菅政権は「要請」したのであって、「命令」していない。要請に応じたのは中部電力の自主的判断だ。菅首相は、そう言い逃れることはできる。そう言い逃れるために「命令」ではなく「要請」したのである。その点、法の支配はかろうじて守られた、とは言える。
 
 他の原発が定期点検後、すべて停止しているのも自主的判断である。本来、法的に言えば、原発の稼動に自治体の承認は不要なのに、停止しているのも電力会社の自主的判断だ。泉田新潟県知事の反対により東電柏崎原発が停止したままなのも、東電の自主的判断だ。

 法的にはそう言い逃れができる。だが、これで法治国家だろうか。政治的な圧力、見えない世論の圧迫によって、自由な行動がとれない。これでいいのだろうか、危機感はないのか、というのが私の主張である。

 憲法9条の戦力放棄条項も同じである。現行憲法では集団的自衛権はおろか、個別的自衛権も持つことはできない。私はそう考える者である。だから、憲法は改正すべきであると考える。

 今はまずい、韓国や中国を刺激する。そんな意見が目立つ。「戦力を認める憲法にすると戦争に巻き込まれる」「再び侵略国家になる」という反対論も相変わらず根強い。しかし、だから現行憲法のまま、大幅に憲法解釈を拡大して戦力を保持していいことにはならない。

 国民の中には「自衛隊は憲法を逸脱しているのではないか。でも、今の国際環境を考えたら、自衛隊は必要だよね。アメリカだけには頼れない」というジレンマ、わだかまりがある。よりはっきり言えば、憲法の規定に違反しているような自衛隊の現状に対して自責の念、後ろめたさがある。

 自衛隊の職員も、憲法によって全面的に保証されていない「日陰の存在」のような現状に居心地の悪さを感じているはずだ。

 そういう状態を長く続けるのは不健全だ。そこから早く脱皮し、健全な存在にするには憲法9条を改正するのが最も良いのだ。国民も国際社会に対して、責任をもった発言ができる。自衛のための軍隊を持つのは当然のことと考え、独立自尊の精神が確立される。

 法の支配を貫くとは、政府も国民も責任ある存在になるということだ。





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Last updated  2013.09.24 23:21:36
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