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中世武士団をあるく 安芸国小早川領の復元

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2005.11.03
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カテゴリ:三原市 石塔

白滝山の頂上直下にある龍泉寺には、宝篋印塔や五輪塔の残欠が散在しています。

その内訳は、およそ以下のようになります。

 参道周辺
   五輪塔 空風輪1
 本堂周辺
   宝篋印塔 相輪1   五輪塔 空風輪1
 歴代住職の墓地周辺
   宝篋印塔 基礎3 笠2 相輪1
   五輪塔  地輪4 水輪2 火輪17 空風輪3
   一石五輪塔7

その後、Oさんから、本堂周辺でさらに残欠を見つけたとの情報をいただきました。

このため、全体の数は、もう少し増えそうですが、これまでのところは、宝篋印塔は、少なくとも3基、五輪塔は17基の存在を確認できました。


多くの残欠は、いま本堂の少し上にある歴代住職の墓地に集められています。


    龍泉寺


その一画に、ひときわ高く、基壇を石垣で固めた1基の宝篋印塔が立っています。

一見、完備した宝篋印塔のように見えますが、近づいて見ると、大きな宝篋印塔の基礎Aの上に、別の宝篋印塔の基礎Bをのせ、さらに宝篋印塔の笠、相輪を積み重ねた、寄せ集めの石塔であることがわかります(写真左下)。

龍泉寺 応安八年塔龍泉寺 応安八年塔


一番下の基礎Aの背面には、「応安八年乙卯」「四月十九日」の年月日が二行にわけて陰刻されています(写真右上)。

写真ではわかりにくいかもしれませんが、「八」の字は読めるかと思います。

その意味では、年次を刻む貴重な基礎になります。


ところが、ひとつ問題があります。

それは、北朝の元号であった応安8年(1375)は、2月27日に「永和」に改元されているため、4月19日は「永和元年」でなければならないのです。

改元から、およそ1ヶ月半。

時代は、南北朝内乱の時代です。

なんらかの事情で、改元の通達が遅れていたのかもしれません。

あるいは、北朝方の小早川氏のもとには通達が届いていたものの、石工への通達が遅れていたのかもしれません。

また、あらかじめ銘の日にちが決まっており(たとえば忌日など)、改元の通達が届く前に、彫られてしまったとも考えられます。

しかし、後世の人が、改元を知らずに、なんらかの日にちを刻んでしまった可能性も捨てきれません。

そうなると、ここに刻まれた年次を、そのまま石塔の制作年代に比定するわけにはいかなくなります。


そこで、一度この年次から離れて、基礎そのものが14世紀後半の特徴を備えているのか、あらためて検討することにしましょう。

まずは、基礎のアップです。


    龍泉寺 応安八年塔


素材は、花崗岩によって造られています。

幅は、47.3センチ、全体の高さは、31.7センチ、側面の高さは、23.8センチあり、小早川領内では、比較的、大きな基礎です。

側面の輪郭幅は、上部3.5センチ、左5.5センチ、下部3.7センチになります。
なお、正面は、欠損部分があるため、左側面を計測しています。

格狭間は、3面にあり、正面は、東側(画面右方向)を向いています。

この数値を基にした、各部の比率は、全体の高さと幅の比率は0.67、側面の縦横比率は0.50、側面にある上下の輪郭幅の比率は1.06、上の輪郭と左の輪郭の幅の比率は1.57、基礎幅と横の輪郭幅の比率は0.12となります。

この数値は、いずれも14世紀の基礎の比率に該当します。

つぎに、基礎の格狭間を見てみましょう。

その形は、花頭形がゆるやかな傾斜で、左右に開くタイプ(B型)になります。
左右にある円弧は端によっていますが、花頭形の長さより、二つの円弧の幅のほうが、長くなっています(両者の比率は0.94)。

このことは、この基礎が14世紀の後半の基礎であることを示唆しています。

また、脚は、茨の内側で切り、脚間の幅と輪郭の下端幅の比率は0.3(1/3弱)になります。

これは、安芸東部や備後では、南北長期に一般化する大きさです。

また、基礎上部の反花も、2.2センチほど入り込んで彫られています。

こうした点から考えると、この基礎は、14世紀後半、おそらく銘にある「応安八年」の基礎とみなして、問題はないでしょう。

広島県内でも、数少ない年号銘をもつ基礎であり、年代を判定するための基準塔になります。

その意味でも、本来の塔身や笠・相輪を欠損していることが、たいへん残念です。


    龍泉寺





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最終更新日  2005.11.03 18:28:37
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