217964 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

中世武士団をあるく 安芸国小早川領の復元

中世武士団をあるく 安芸国小早川領の復元

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

日記/記事の投稿

カテゴリ

バックナンバー

2024.04
2024.03
2024.02
2024.01
2023.12
2023.11
2023.10
2023.09
2023.08
2023.07

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2005.10.25
XML

瀬戸内海の美しさに感動していると、うしろから学生たちの歓声が聞こえます。

その声につられて後ろを振り向くと、真正面に、小早川氏の本拠地であった高山(たかやま)城と、その城下の光景がとびこんできました。

  白滝山から高山城方面をのぞむ


中国山地の山々が壁のように横たわるその手前、画面右側に、頂上が平たい台形状の山がみえます。

これが高山城です。

標高は190メートル、比高(地上から最高地点の郭までの高さ)は180メートルあります。

応仁の乱では、竹原の小早川弘景を主力とする西軍方の国衆が、この高山城を包囲し、激しい攻防戦が繰り広げられました。

高山城が恒常的な城として築かれたのも、このころのことでしょう。

いまは開発が進み、塔ノ岡とよばれる山腹一帯にまで住宅が建ち並んでいますが、かつては、山の麓に城下が広がっていました。

現在の三原市本郷町です。


画面を少し拡大してみましょう。

少しわかりにくいかもしれませんが、その高山城の前面から左側にかけて、大きく曲がりながら沼田(ぬた)川が流れています。


  高山城と雄高山城


高山城の対岸(左側)に、急な斜面をもつ山がみえます。

これは、小早川隆景が新たに築いた雄高山(おだかやま)城です。

新高山(にいたかやま)城とも呼ばれています。

標高は196メートルあり、高山城よりもわずかに高いのですが、比高は180メートルとほぼ同じです。

内部は大きく5つの郭にわかれ、石垣の跡もみられます。

雄高山城を見ずして戦国の城を語るな、そういっても過言ではないほど、すばらしい造りをしており、城好きのかたは、必見です。


23日に紹介した小泉氏の上野城も、画面の右下に見えます。


高山城と雄高山城が見える !!!   城下の地形がよくわかる !!!

もうそれだけでも、小早川氏の研究者にとっては感動ものです。

小早川一族の小泉氏も、龍泉寺に登っては、この景色を見ていたことでしょう。


いま高山城や雄高山城に登っても、瀬戸内海は、ほとんど見えません。

しかし、この白滝山を中継点として利用すれば、瀬戸内海の島々への連絡も、容易でした。

白滝山の存在は、小泉氏のみならず、本家の小早川氏にとっても、重要な場所だったのです。


白滝山は、小早川領を一望できる、絶好のビューポイントです。

機会があれば、ぜひ登頂して、雄大な景色をお楽しみください。

ただし、柵などはありませんから、あまり前に出すぎると、崖下に転落します。

あしもとは、くれぐれもご注意を。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005.10.25 15:11:00
[沼田・小早川家領の原風景] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.