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2015.08.21
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カテゴリ:江戸珍臭奇譚 
落陽.jpg

 朝からそわそわしていた。今日、幸助と別れるために、出会い茶屋で逢引きすることになっていた。
「うっうっうっ、苦しいよう、早く楽にしておくれ、げぼっげぼっ、苦しいよう」
 母のお梅はまたいつものように愚図っていた。だが、今朝はほんとに苦しそうだった。お絹は念入りに頬紅をつけ、洗った襦袢の上に、母の行李からお梅の着物を出して着た。今日は、幸助に会いに行く日だった。躰を許して別れるつもりであった。
「かあさん、ごめんなさい、損料屋の源左衛門さんのところへいかなくちゃいけないの」
 と、嘘をついて、苦しそうにもがくお梅を置いて長屋を後にした。(かあさんのために幸助さんと、別れに行くのよ、許しておかあさん)別れという辛さもあったが、初めて幸助とまぐあう期待に体の芯から熱いものが昇ってきていた。

 八幡宮の境内を抜けて、出会い茶屋「よし乃」の前でもじもじしていると、幸助もおどおどした様子でやってきた。ふたりとも、出会い茶屋に入るのは初めてであった。心臓の鼓動が高鳴り、口が渇くのをお互いに感じていた。
 母のお梅を最後まで看病することに決めたと幸助に話した。幸助と別れなければならない。だから、せめて一度だけでもという気持ちできたのだと幸助に言った。
「お絹、心配しなくていいよ、いつまでも待っているからね、時々こうして逢えればいいよ、おいらは我慢するさ、そういうお絹の優しさが好きなんだから、この間は大家の宗兵衛さんにああ言えばお絹の心が変わりして、おっかさんを極楽園に入れる決心がつくだろうと、言われたからなんだ。冷たいことを云ってごめんよ」
「ありがとう、本当の母さんじゃないけれど、私がいまこうして生きていられるのは母さんのお蔭なの、、、、」
 お絹と幸助は抱き合い、口を吸い、絡みあって、初めてのまぐあいをした。三回まぐわった。幸助にお絹の気持ちは伝わった。何だか、悩んでいたのが馬鹿みたいだった。清々しい思いの喪失であった。

 見廻り同心の真壁平四朗と手習い師匠の柳井文吾が呑気に囲碁を指していた暮時だった。
「てえへんだ、旦那、お梅婆さんが死んじまった」
 隣の金魚売りの茂平のかみさん、おたよが芋をふかして届けに行ったら、お梅が冷たくなっていたそうだ。
「何?お梅婆さんが死んだ?殺しかもしれねえって?どうしてそれとわかるんだ?んっ?、顔にふんどし??なるほど、誰かが殺さなきゃ、顔に褌があるわけがねえっな、そりゃあそうだ」
 お梅が死んだ。顔にお絹の縫った桔梗模様の越中ふんどしが被されていて、横に自然薯が置いてあった。と、いうことで、長屋中が蜂の巣を突いたように大騒ぎになった。真っ先に疑われたのがお絹だった。お梅が死んで助かるのはお絹だからだ。

 そこへ、幸助と別れた、お絹が長屋へ帰ってきた。暮れ六つを過ぎ、辺りは薄暗くなっていたが、お絹の躰にはまだ幸助の温もりが残っていて、思わず含み笑いを漏らしたほどだ。
「お絹ちゃん、お梅さんが死んだよ」と、長屋のおせっかい者がお絹に言った。
「えっ!」
 お絹の心は天国から地獄へ真っ逆さまに落ちて行った。母さんにどういって詫びたらいいのだろう。お絹は自分の家に着く前に、大家の宗兵衛に裾を掴まれて、自身番屋に連れてこられた。自身番屋には見廻り同心真壁平四朗、岡っ引き傘屋の弥平次、大家の宗兵衛、それに真壁平四朗の碁敵、手習い師匠の柳井文吾と、番太が揃っていた。
「こんな暗くなるまで、どこをほっつき歩いていたんだ、それとも、おっかさんの首を絞めて、逃げようとして、後悔の念にかられて帰ってきたのか?えっ?」
 同心真壁平四朗はお絹が 下手人ではないかと、はなっから疑っていた。母が苦しみ苦しみ、死んでいった時に、出会い茶屋で幸助と淫らなことをしていた。なんて、罪なことをしたのだろう。そのことが重たく覆いかぶさっていた。
「どこで何をしていた?」そんな問いにはとても、答えられなかった。唇を咬んで、下を向いたまま、涙を流していた。
「おい、だんまりかい、黙っていちゃあ、ますます嫌疑が深まるというもんだぜ。なあ、お絹、極楽園は取り潰されるそうだよ、将軍家慶様が、子が親を捨てる風潮に釘を刺したんだ。姥捨て山もあっちゃならねえとさ、お絹が極楽園に母を預けなかったのは正かったかもしれねえが、だからって、親を殺しちゃどうにもならねえよ。それに、お絹、南六間掘町に住む、幸助とかいう指物師といい仲だっていうじゃねえか、調べはついてるんだよ、えっ、幸助と一緒になりてえために、腐っていく母のお梅が邪魔だったのじゃねえか、そうだよな、お前の気持ちはよくわかる、誰だってそう思うよ、腹の中は読めてるよ、吐いちまいな、悪いようにはしねえよ。もうひとつ聞くがな、お絹、母のお梅が死んでほしいと願ったことはなかったのかい?」

 お絹の心にぐさっ!と刺さる言葉だった。
「あります、心の片隅に母が死んでくれたらと、そう思う私がいました。今朝も、苦しんでいる母を置き去りにして、わたしは、、、、わたしは、、、、わたしが母を見殺しにしたのです」
 そういうと、わっと、お絹は泣き伏した。
「なあ、宗兵衛、あんた、大家と云えば親も同然だ、今の言葉聞いたかい、あんまりにも不憫じゃねえか」
 大家の宗兵衛も同心の真壁平四朗もお絹には同情していた。たとえ、お絹が母殺しの大罪であっても、人情奉行の遠山金四郎様にお願いして、罪が軽くなる道を探らねばと思っていた。やりきれねえな、心の壁に黒い脂のようなものがべたっと張り付くような気持ちの悪さが自身番屋の中に立ち込めていた。そんな空気の中に、宗兵衛長屋の方から、ぷーんと、あの臭いが漂ってきた。
「ご、ごめんくだせえ」
 自身番の障子を開けて入ってきたのは、下肥汲みのでくだった。
「おっ、お梅婆さんが、くっ、首をしめてほしいと頼まれたので、おっ、おいらがが首を絞めました」
「なんだと、でく、もう一遍いってみろ、お前が殺ったのか?」
「へ、へい、おいらが、く、首を絞めて、ふっ、褌を、かっ、被せました。」
「でくの馬鹿野郎、そいつを人殺しっていうんだよ、おめえ、磔獄門になるんだぞ」」
「でっ、でも、お梅さん。ありがとうと言って、なっ、涙ながしてたよう」

 其の日は、十日に一度、でくが熊井町の宗兵衛長屋の下肥汲みにくる日だった。でくは糞壺を捏ね回し、臭え、臭えと、云われながら、肥桶三杯の糞尿を汲み取った。いつもそうしているように、お梅の家に声をかけて、自然薯をとばくちにおいた。めずらしく、お絹は留守だった。
「おっ、お梅さん、じっ、自然薯ここへ置いとくね」そう言って、油障子を閉めようとした時、「うっ、うっ、うっ」と、お梅が呻っている声が聞こえた。
 でくは、心配になり、お梅の布団の側に座り、「だっ、だいじょうぶか、おっ、お梅さん」と声をかけた。
「ああっ、でくちゃん、わたしはもうおしまい、後生だよ、私をあの世に送っておくれ、もういい、生きているのが苦しいんだ、げぼっげぼっ、お願いだよ、さあ、早く、首に手をかけておくれ、ね、そのほうがいいいんだよ、でくちゃんがいてくれて嬉しいよう、、げぼっげぼっげぼっ」
 擦れたような声で、やっとそれだけを言って力が抜けたように薄く開けていた目を瞑った。息をしているのかしていないのか、でくにはわからなかった。お梅の首にそっと、手をかけてみた、皺皺の細い首だった。だが、反応がなかった。お梅の目尻から涙が一滴流れた。
「あ、り、が、と、う」と、ゆっくり唇が動いたように見えた。
「ねっ、寝たのかな、しっ、死んだのかな」
 でくは静かに寝ているお梅の顔の上に、お絹の縫った桔梗の模様の入った越中褌を掛けてやった。障子を開けて、「そっ、それじゃ、お梅さん、お大事に、また、じっ、自然薯持ってくるね」と、言って、長屋を後にした。大家の宗兵衛が留守だったので、今日の汲み取り分を報告しにきたのだった。

 自身番にいた、もう一人の男、真壁平四朗の囲碁相手、手習い師匠の柳井文吾はじっとそのやりとりを聞いていた。
「真壁の旦那、こいつはお梅の自死じゃありませんか、死ぬ時を選べるのもの人間でござんしょ、毎日毎日死にたい死にたい、早くお迎えに来てほしいと願っていたんでしょ、長屋の連中もみんな知ってますよ、棺桶に片足突っ込んだ死にぞこないが生きたってせいぜいあと何日か、いつ死んでも大した変りがあるわけじゃ無し、お梅が死んで、困る人もいないんじゃねえですか、長屋の人も、ほっとしてるのが正直な気持じゃありませんか、たまたま、そこにでくがいて、可愛そうにと、褌を被せただけのことじゃないんですかい」
 なるほど、そういう屁理屈もあるか、囲碁も強いが、屁理屈も巧みだ。同心の真壁平四朗は妙に納得した。悪事はお天道様がお見通しというが、こいつが悪事かどうか御釈迦様でもわかるめえ。

 手習い師匠の柳井文吾は囲碁盤に白石をパチンっと打つ。同心の真壁平四朗は「うむむっ」と唸る。
「ねえ旦那この黒石は死んでますね、どう足掻いたって目がない、誰がどうしようと死んでいるんです、ただ、死んだことが見えてないだけですね。そこに白石を打ったって、殺したことにはならねんじゃねえですかい。自ら死んで他を助ける、捨石になれば、立派な死に方ですよ、悪手にはならねえですよ」

 お梅の見送りの日、熊井町、宗兵衛長屋は見慣れぬ男たちで溢れていた。どこから集まってきたのか、殊勝な顔つきの男たちが手を合わせて見送った。居酒屋玉屋で下の世話になった下半身兄弟の男達だったのだろう、お絹を忘れえぬ人だったのだろう。でくが肥柄杓の先に梅の花の咲いた褌をぶらさげて、
「おっ、お梅さん、しっ、死んじゃった」と泣きながら歩くものだから、男達に貰い泣きする者までいた。

 お絹の縫う越中褌の柄はそれ以来、ぱっと花が咲いたような心が躍る明るい模様が消え、どこかに陰を含む柄になり、あれほど人気のあったお絹の褌を誰も借りる遊び人はいなくなり、いつしか、損料屋源左衛門の棚からも消えていた。『ふんどしお絹』の名もいつしか江戸の町から忘れ去られていった。

(おわり)

作: 朽木一空

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最終更新日  2015.08.21 11:38:53
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