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ジージの南からの便り

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2021.12.10
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カテゴリ:近現代の歴史

                   上の写真は昨年7月撮影の宮崎県えびの市を流れる川内川

 昨年の7月21日、高校同期生4人で宮崎県えびの市の史跡などを訪ねる日帰りの旅に出た。
その時の様子は7月から8月にかけて数回にわたり拙ブログにアップしたが、8月5日の記事「えびの市のA氏宅を訪問する」のAさん宅で「秋丸機関」というものの存在を初めて知ったのが今回の記事を書くきっかけとなっている。しかし、当時のブログでは、「秋丸機関」については一切触れなかったのだが、今年8月14日のNHKBS1スペシャル「ヒトラーに傾倒した男・A級戦犯・大島 浩の告白」が放送されることになり、その中で「秋丸機関」が取り上げられるとの連絡がMくんからあった。そこで私もこれを機会に当ブログでその一端を取り上げてみようと思ったのだが、ちょっと取り付きにくくて今日まで躊躇していた。ところが今回はどうしても書かなくてはならないと思うニュースが飛び込んできた。12月8日のNHK「おはよう日本」で今回は「太平洋開戦真珠湾攻撃から80年」の中で「秋丸機関」を取り上げるということを知る。しかもそれにAさんが出演されてお話をされるという。

 実を言うと、訪ねたAさんの名前は「秋丸機関」を率いた秋丸次朗中佐のご子息・秋丸信夫さんだった。そして私達をそこに誘ってくれたMくんは秋丸信夫さんと従兄弟だったのだ。つまり、Mくんにとっては、秋丸次朗中佐はおじさんである。
当日、秋丸信夫さんとは初対面だったが大歓迎をしていただき、資料を見せていただきお話も聞くことができた。私は日頃から太平洋戦争で戦死した父を持つ家族として戦争に関して大きな関心を持っているので大変興味深くお話を聞いたのだった。
「秋丸機関」は、ノモンハン事件の1939年9月に総力戦で経済面から研究するために日本の陸軍省経理局内に設立された研究組織であり、正式名称は「陸軍省主計課別班」。(wikipedia)
 なお、ご子息で元新聞記者の秋丸信夫さんはホームページ「えびの便り ふるさと宅配便」を主宰されておられ、その中に「秋丸機関」のことを「大東亜戦争秘話 陸軍経済謀略戦の全貌」として書かれている。ウエブ検索ですぐ見ることができる。詳述されているので是非読んでいただきたい。
そこには秋丸次朗著「秋丸機関の顛末」を始め、秋丸機関のことが詳細に述べられていて私の初めて知ることばかり太平洋戦争の秘話を知ることができた。

 詳細は今回NHKで取り上げられた「秋丸機関」の放送に沿って書くことにしたい。
放送はハワイ・オアフ島で開催された「真珠湾攻撃80年追悼式典」から始まる。
その真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争の前に日本の陸軍省が経済学者と共に日本とイギリスやアメリカとの間には圧倒的な経済的戦力格差ありと報告したが、指導者たちは正しく受け止めず、無謀とも言える戦争を選択した。その調査を率いたのが秋丸次朗主計中佐であり、そのチームは通称「秋丸機関」と呼ばれてた。その手記や最新の研究から背景がわかってきた。
秋丸中佐は亡くなる4年前に手記を書いて残しているが、そこには対英米戦の場合、経済戦力の比は20対1と判断した報告を書いてある。秋丸中佐は東大教授で経済学者の有沢広巳を中心に日本を代表する経済学者を結集した。これまでは戦争経済という概念はなかったが、戦争を経済的な面から学術的に考察する必要があるという観点でも見ようということである。
報告書「英米合作経済抗戦力調査」には石油や鉄鉱石などの資源や工業生産力など詳細に調査した結果、英米は大規模な戦争を十分に賄える経済力があるとした。

 開戦を判断する上でカギを握る日独伊三国同盟のあったドイツについても調査していた。そのドイツは1941年にはソ連と戦争を始めていた。日本ではドイツが簡単にソ連に勝利するだろうという見方が広がっていたが、ドイツの抗戦力はこの年がピークで1942年からは次第に低下せざるを得ない。独ソ戦が短期間で終わるのか、長期戦になるかによって開戦の運命も決定される。秋丸機関の分析通りドイツの勢いは変わり、泥沼の長期戦となった。

 秋丸機関の報告書を発見した慶応大学教授・牧野邦昭教授は「本音は明らかにアメリカと戦うことは論外であるが、ドイツはもう既に限界で依存しても全く意味がないと考えていた」のではないかと言っている。しかし、秋丸機関の思いとは逆に報告書が開戦を判断する材料として利用された可能性もあるという。それはどういうことなのか。

 今年9月に発見された資料によると、英米の弱点が記されていた。
英米の弱点はアメリカからイギリスへの物資の輸送に当たり大西洋で輸送船を撃沈できるのはドイツの潜水艦・Uボートであるが、撃沈数が多くなるとイギリスで物資不足が生ずるというものである。これはドイツの力を過大評価した想定で秋丸中佐の本音とは程遠いものであった。

 秋丸機関も軍の中の機関なので全く危険性がなとは書きづらく、条件が重なれば勝利の見込みがあるかもしれないくらいには書かざるを得なかったのだろう。そういうことからこういう表現になった。指導部としてはそういう希望的な観測のみに注目して利用したのかもしれない。
秋丸中佐はこの後も指導者たちに慎重な考慮を促したものの聞き入れられることはなかったという。
手記に次のように書き残してあるという。
「既に開戦不可避と考えている軍部にとっては、都合の悪い結論であり消極的平和論には耳を貸す様子もなくて大勢は無謀な戦争へと傾斜した」 これが当時の軍部の姿であったろうことは今となって私にも容易に想像できる。

 その上で、NHKの記者は当時の日本の置かれた立場にも言及していたが「当時日本は石油の禁輸で追い詰められていた。戦わずにジリ貧になるよりも高いリスクだが開戦でそれを打開しようとしたのではないか」と言っていた。これについては聞いた人がそれぞれまた考える余地があろう。
こういう番組から日本国民が何を反省し学び、現状や将来について考える一つのキッカケになればいいと私は思う。





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Last updated  2021.12.11 07:00:48
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