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先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」

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No1eagle

No1eagle

2020年11月20日
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カテゴリ:今日の名言
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2020.11.20-Vol.0971
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■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
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★今日の名言★
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 共同責任とは何か、それは無責任のこと。

  無責任とは何か、それを知るのが私の責任。

              <クララ・バートン>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

責任(せきにん)・・・

(1)[荘子(天道)]人が引き受けてなすべき任務。
(2)政治・道徳・法律などの観点から非難されるべき責(せめ)・科(と
   が)。法律上の責任は主として対社会的な刑事責任と主として対個
   人的な民事責任とに大別され、それぞれ一定の制裁を伴う。

=================================

※喫煙室(雑談コーナー)

いつの時代でも先駆者というものは、凄まじい熱意と情熱をもって確固
たる信念のもとに目的に向かって突き進んでいくものだ。

そして例外なく幾度も押し寄せる凄まじい困難や挫折を乗り越え打ち勝
って後世に名を残すことになる。

クララ・バートンは、アメリカ赤十字社の設立者で、看護師のパイオニ
アであり、アメリカで初の女性特許事務官、教師、南北戦争期の病院勤
務看護師を務めた。

内気で臆病だった幼少時代のクララは、教育熱心な愛国者である両親の
勧めで教師への道を歩み始めることになる。

バートンは、女性蔑視の風潮が強く女性の社会進出への道が険しかった
当時の社会で何度も挫折を味わうことになる。

1864年、南北戦争時にベンジャミン将軍により前線の病院の「女性責任
者」に任命される。死と隣り合わせの環境の中、バートンは外科医や後
援者の支援を受けて、「アメリカン・ナイチンゲール」(戦場の天使)
として有名になる。

終戦後は、「行方不明兵士」の調査に尽力。

バートンは自らの体験をもとに全米で講演を開き知名度を上げていくこ
とになる。

1870年、普仏戦争で従軍看護師として参加。のちにアメリカに帰国後、
アメリカ赤十字設立活動を開始。初代会長に就任することになる。


因みに、アンリ・デュナンの創設した国際赤十字社の元になる理念は以
下のとおりである。

デュナンは、その体験から戦争犠牲者の悲惨な状況を語り伝えるととも
自著の中で以下の必要性を訴えた。

(1)戦場の負傷者と病人は敵味方の差別なく救護すること。
(2)そのための救護団体を平時から各国に組織すること。
(3)この目的のために国際的な条約を締結しておくこと。

         ☆----------------------------------------☆

クララ・バートン

クララ・バートン(Clarissa "Clara" Harlowe Barton 、1821年 12月2
5日 - 1912年4月12日)は、アメリカ赤十字社の設立者で、看護師のパイ
オニアである。また、特許事務官、教師、南北戦争期の病院勤務看護師
を務めた。

[人生]

[生い立ち]

クララ・バートンは1821年12月25日、マサチューセッツ州ノース・オッ
クスフォードで5人兄弟の末っ子として生まれた。父は地元の民兵の一員
であり、議員も務め、愛国心と幅広い人道的関心を娘に与えた、Captain
Stephen Bartonである。母は Sarah Stone Bartonである。

3歳になったとき、クララは兄スティーブンと一緒に学校に行くこととな
った。読書とスペルが優れた成績であった。学校では、ナンシー・フィ
ッツと親友となった。クララは極度に臆病であったため、彼女が子供の
頃で唯一の知られている友人である。

10歳のとき、クララは納屋の屋根から落ちて重傷を負った兄弟のデイビ
ッドを看護する仕事を自らに課し完治させた。クララは処方された薬を
与え、当時の標準的な治療であるヒルに血を吸わせる瀉血の方法を習得
した。クララは医者があきらめてからも、デイビッドの世話をずっと続
けて完治させた。

両親は内気な性格が治るようColston Stones High Schoolにクララを送
ったが、その試みは仇となった。クララは更に臆病で抑うつ的で食べる
のもままならなくなった。クララは健康を取り戻すために家に戻ること
となった。

クララが帰ったとき、クララの父方のいとこが4人の子供と妻と農場を残
して亡くなったため、元々住んでいた家も修理が必要だったのもあり、
彼らを助けるためにバートン家は移住した。仕事が終わった後、クララ
は家族に負担を感じさせないために仕事をしたいが、手伝わせてくれな
いから手持無沙汰で当惑していた。

クララはいとこの男の子と遊ぶようになり、驚いたことに乗馬のような
活動も上手にこなすようになった。クララの母親が男の子と遊ぶことに
疑問を持ち始めたのは、クララが負傷した後ではなかった。母親は、ク
ララがより女性的なスキルに焦点を当てるべきだと決断した。そして、
クララのいとこの女の子一人を招いて、クララの女性性を育てた。クラ
ラのいとこからは、適切な社会的スキルを得た。

また、内気を克服するために、両親はクララに学校の先生になるよう説
得した。クララは、1839年に17歳で始めて教師免許を取得した。この職
業はクララに大いに興味をもたせ、やる気をもたらした。クララは労働
者の子供たちに教育を受けさせる効果的な広報活動を終わらせた。 この
ような成功したプロジェクトは、正当な授業料を要求する時に必要な信
頼をもたらした。

[社会人生活]

クララ・バートンは、1838年から12年間カナダと西ジョージアの学校で
教育者を務めた。バートンはこの仕事を上手くこなした。クラスの暴れ
ん坊も、子供のころから男兄弟らと過ごしていたため、扱いはお手のも
のであった。バートンは彼らの尊敬を得た事から、クラスの制御は容易
となった。1850年、バートンはニューヨークのクリントン・リベラル・
インスティテュート(Clinton Liberal Institute)で読み書きを研究し
、教育をさらに進めることにした。

1852年、ニュージャージー州で初めてのフリースクールをBordentownで
開くことになった。バートンは成功し、1年後に600人以上の生徒を教え
るために別の女性を雇いいれ、その試みも成功した。この成果により、
学校は新しい学校ビル建設のための約4,000ドルを調達することができた
。しかし、これが完成した後、バートンは教育委員会が選出した男性に
校長を譲ることとなった。教育委員会は、大きな組織の長に女性は相応
しくないという姿勢をとっていた。バートンは神経衰弱と健康疾患で辞
めるまで過酷な環境で働くことになった。

1855年、ワシントンD.C.に移り、米国特許庁の書記官として仕事を始め
た。この仕事は、男性の給与と同じ給与をもらえ、連邦政府で重要な書
記として女性を雇い入れた初めての仕事であった。しかしその3年間も、
バートンは男性職員から多くの虐待と中傷を受けた。その後、官庁で働
く女性に対する政治的反対がおき、1856年にジェームズ・ブキャナンの
運営方針で、バートンの立場は写字生の立場に縮小され、「Black Repu
blicanism(黒人共和主義者)」として解雇された。マサチューセッツ州
にある親戚や友人と3年間住んでいたバートンは、エイブラハム・リンカ
ーン選出後、1861年秋に一時的に写字生として米国特許庁に戻り、政府
機関で働く女性の数が増えることを期待していた。

[南北戦争]

1861年4月19日のボルチモア暴動(英語版)は、南北戦争初の流血事件と
なった。マサチューセッツ連隊内の犠牲者は、当時のバートンの家があ
った場所での暴動の後、ワシントンD.C.に移送された。バートンは国に
貢献したいと考えていたため、怪我をした40人が到着する駅に行った。
多くの人が負傷し、空腹で、何の手持ちの荷物もない制服を着た男たち
に必要な個人的な援助を行った。バートンは、メリーランド州ボルティ
モアで攻撃された第六マサチューセッツ州立歩兵隊の若者たちが収容さ
れていた未完成のワシントン庁舎に個人的に物資を支援し、彼らを助け
始めた。当時、看護教育はあまり制度が整っておらず、バートンは看護
学校に通っていなかったため、独学による看護を行った。

バートンは、一緒に働いている女性たちに、自分の人生で培った医療技
術を教えることが出来ることに早くから気が付いた。他の女性らと共に
病気や負傷した兵士のために衣服、食糧、物資を個人的に提供した。バ
ートンは医療品の保管と配布方法を学び、気分を盛り上げるため、本を
読んだり、彼らの家族への手紙を書いたり、話したりする等の精神的な
フォローを行った。

そしてある日、軍から身分証明証を貰い、兵士の為の医療品を集め始め
た。陸軍省と従軍外科医の反対にもめげず、さらなる支援を得る前に自
らの家の居間を倉庫にし、1862年初めに数人の友人の助けを借りて戦場
へ直接物資を配給し始めた。1862年8月、バートンは需品係将校(英語版
)ダニエル・ラッカー(Daniel Rucker)から、ようやく最前線で働く許
可を得た。そして、バートンはマサチューセッツ州上院議員ヘンリー・
ウィルソンをはじめとした、多くの後援者の信任を得た。

第一次ブルランの戦い後、バートンはマサチューセッツ州の新聞に広告
文を掲載した。それは心からの物資が殺到する反響を呼んだ。バートン
は、シーダー山の戦い、第二次ブルランの戦い、フレデリックスバーグ
の戦いなど、いくつもの戦場で怪我をした兵士に付き添い、到着した物
資の分配、野戦病院の清掃、包帯を巻く、食糧の提供などの作業をこな
した。バートンは南軍も北軍も関係なく助けた。消耗品は必ずしも容易
に入手できるわけでは無かった。例えば、アンティータムの戦いでは、
包帯の代わりにトウモロコシの皮を使用した。

1863年に、John J. Elwell大佐と恋愛関係になった。

1864年、ベンジャミン将軍によって、ジェームズ軍の前線の病院の「女
性責任者」に任命された。死と隣り合わせの環境の中、バートンは外科
医や後援者の支援を受けて、「アメリカン ナイチンゲール」、「Angel
of the Battlefield(戦場の天使)」として有名になった。

[南北戦争後]

南北戦争後、戦争省あてに行方不明の兵士の親類から問い合わせの手紙
が届いており、その多くが無名兵士の墓に埋葬されてしまって答えられ
ない事を知った。この状況を打開しようと、バートンはリンカーン大統
領に連絡を取り、「行方不明の兵士」の調査を行う許可を取得した。

バートンはワシントンD.C.に、「作戦行動中行方不明」か殺されて行方
不明になった兵士たちの調査事務所を開設した。バートンとアシスタン
トは、41,855件の質問に対する回答を書いて、22,000人以上の行方不明
の人々を探し出した。バートンは1865年の夏、アンダーソンビル刑務所
収容所、ジョージア州南部の捕虜収容所で死亡した13,000人を見つけ、
特定し、適切に埋葬できるようにした。そして4年間にわたって仕事を続
け、2万人以上の兵士を適切に名前を付けて墓地に埋葬した。議会は最終
的にバートンのプロジェクトに15,000ドルを割当てた。

[アメリカ赤十字社]

バートンは、1865-1868年の体験を元に全米で講演を開き、広く知られる
存在となった。そして、公民権運動家のスーザン・B・アンソニーなど、
色々な人たちと会い影響を受けた。しかし、そういった活動の中で精神
的にも肉体的にも疲労し、医者から現在の仕事を離れ休むように言われ
た。バートンは1868年にMissing Soldiers Officeを閉鎖し、ヨーロッパ
に渡った。1869年にスイスのジュネーブを訪れていた時、赤十字と、後
にアメリカ赤十字設立の支援者となる Dr.アッピアを紹介された。また
、中立的な立場で自発的な救援を提供する国家団体の設立(各国家にお
ける赤十字設立)を呼びかけたアンリ・デュナンの「ソルフェリーノの
思い出」という本も勧められた。

1870年に、普仏戦争が始まり、バートンは従軍看護師として参加した。
バートンは軍事病院の準備を行うバーデン大公妃を補佐し、戦時中の赤
十字社に多くの援助を行った。 ドイツ当局などの支援要請を受けて多く
の活動を行った。戦争後、バートンはバーデン金十字とプロイセン鉄十
字勲章を授与された。

アメリカに帰国後、1873年にアメリカに赤十字を設立する活動を開始し
た。ラザフォード・ヘイズ大統領との会談は失敗したものの、その後の
チェスター・A・アーサー大統領政権に、戦争だけでなく自然災害でも救
助する組織の必要を訴えかけ、その説得に成功した。

1881年5月21日、ワシントンD.C.のI Streetアパートでアメリカ赤十字社
の最初の公式会合が開催され、会長に就任した。1882年8月22日に、ニュ
ーヨーク州リビングストン郡ダンスビルに最初の支部が設立された。そ
の後、アメリカでおこった災害や戦争に多くの貢献を行い、またトルコ
などにも支部を開設し、1896年の春にアルメニア人虐殺への人道支援に
バートン自身も同行した。1898年にバートンはキューバの病院で働いて
いたが、すでに78歳であった。1900年のガルベストン・ハリケーン災害
後の救援活動が、アメリカ赤十字社会長としての最後の仕事であった。

1904年、公私混同の批判によって、83歳で米国赤十字社の会長辞任を強
いられた。バートンは理想主義的な人道主義ではなく、進歩的な時代の
現実的な効率性を反映した全世代の科学的専門家の新世代によって辞任
を余儀なくされた。 辞任後、バートンはNational First Aid Societyを
設立した。

[晩年]

1897年からメリーランド州グレン・エコーに住んでいた。1907年に自伝
「The Story of My Childhood」を出版した。1912年4月12日、自宅で死
亡した。死因は結核であった。

John J. Elwell大佐と恋愛関係になるなど、生涯を通して3度の告白を受
けたが、結婚することは無かった。<以下略>

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

クララ・バートンの本
自己啓発書のベストセラー

         ☆----------------------------------------☆

★☆「keiko通信 from NewYork」☆★

「外出時の手袋は?」

ニューヨークの寒さは厳しくて手袋マフラーは必需品。

コロナ騒ぎで帰宅後は携帯電話、クレジットカード、財布、ハンドバッ
グ、鍵等はアルコール消毒してサングラスは手洗い後、石鹸で洗って乾
かします。

これから寒くなれば手袋をはめ、店内での買い物時は外し、終れば手袋
をはめる。手袋をはめる前にアルコール消毒、ハンドサニタイザーを使
う。

買い物後の手に手袋をはめたら、コロナ菌が手袋内に付着する?
皆さんはどのように対策なさるのでしょう。
買い物時はラテックスグローブを使う?

                 Keiko


★ちょっと一言!

※皆さん、お元気ですか?「名言集」の宮口です。

北海道でのコロナ感染者の急増が心配です。旭川でもクラスターが発生
しています。先日、生まれて初めてインフルエンザのワクチンを打って
きました。こんな生活がいつまで続くのでしょうね?

アメリカでも選挙後の感染者が急増しているようです。ニューヨークの
Keikoさんが心配です。

颯太(ふうた)は、我が家の愛犬です♪


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編集後記+++++++++++++++++++++++++++++

世の中には人間の一生をも左右してしまうような、心の底から魂を揺さぶら
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あなたも辛い時や悲しい時、何気ない一言で勇気づけられた経験はないだろ
うか?

仕事をしながらメルマガを発行しようと決意したのは、そういう名言の数々
を一人でも多くの方々に紹介したいと思ったからです。
今までの仕事だけの人生に物足りなさを感じていたということもあります。

「生きることとは自分自身を表現することである!」と言ったのは誰だった
ろう?自分自身を表現することにより、ほんの少しでも周りの人たちを幸せ
にするお手伝いが出来れば望外の幸せです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++

ここまでお読み頂きありがとうございます。
皆さまからのご意見・ご感想をお待ちしています。

豊かで、より良き人生を共に歩んで行くことが出来ますように!

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最終更新日  2020年11月20日 05時00分06秒
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