こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。
古くから漁場として栄えた根室管内は色々な人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんな形で残っています。古代から近代までねむろの歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えしていきたいと思います。
わたしと一緒にちょっと昔に想いを馳せてみませんか?
第11回「開拓使根室牧畜場」、第12回「根室実業界の風雲児・山縣勇三郎」と明治の根室開拓を見て来ましたが、少し時代を下って、昭和期の開拓の歴史をみてみましょう。
日露戦争の後、日本の人口は急増し、新しい土地が必要となりました。その候補に挙げられたのが、北海道です。
国を挙げての北海道開拓の計画は「拓殖計画」と呼ばれ、殖民軌道の敷設などを進めて行きました。第3回「中標津の開拓」で私が歩いた北根室ランチウェイの殖民軌道跡もこの拓殖計画の成果の一つです。
しかし、拓殖計画が終了した大正15年(1926年)でも北海道には約100haの開発候補の大平原が残っていました(うち、根室地域は30ha)。昭和2年(1927年)から始まった「第二期拓殖計画」はこの根室地域を中心に開拓が進められたのです。
その拠点は現在の中標津町桜ヶ丘(当時の標津郡標津村字中標津)に据えられました。北海道農事試験場根室支場です。
伝成館(北海道農事試験場根室支場)
庁舎は当時としては珍しい鉄筋コンクリート製でした。線対称の2階建てのこの建物は、現在では伝成館と呼ばれ、見学が可能です。
当時併設されていた陳列館は、中標津郷土館緑ケ丘分館として、緑ケ丘森林公園に移設されています(第3回でも訪れています)。
農具庫
種苗倉庫
伝成館の近くには2棟の木造倉庫があります。
当時は農具庫と種苗倉庫として使われていたそうです。
これらの建築物はその歴史的な価値を認められ、平成21年に国の登録有形文化財に指定されました。
さて、北海道農事試験場はその後も機構を変え、名前を変え、昭和39年からは北海道立根釧農業試験場として、平成22年からは道総研根釧農業試験場として、試験研究と新しい技術の実証・普及に努めています。
道総研根釧農業試験場
毎年夏には、公開デーが設けられています。
あなたも酪農に触れに根室に来てみませんか?
参考文献:中標津町史
参考文献:中標津町酪農発達史
参考文献:北海道立根釧農業試験場50年史
参考文献:北海道の近代化遺産(北海道教育委員会 編)
参考HP:
参考HP:道総研根釧農業試験場
■補足
ヒストリー・ハンター(仮)からお知らせです。
今回紹介しました伝成館と農具庫、種苗倉庫は現在でも使用されている現役の建物です(伝成館はNPO法人伝成館、農具庫と種苗倉庫は道総研根釧農業試験場が使用しています)。
見学の際には、使用者のご迷惑にならないようご配慮願います。
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