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2013年02月13日
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こんにちは晴れ今日は「KY(周りの空気が読めない)」が担当しますパソコン

前回は、ポーランドから逃れることができたユダヤ人の奇跡についてお話ししましたひらめき

今回は、杉原千畝さんのビザ発給までの苦悩についてお話ししますグッド

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1940年7月18日早朝、大勢のユダヤ難民が領事館前に集まり始めます。

その日のことを千畝さんは「それは、例年、夏が6,7月に駆け足で過ぎる、バルト海沿いの北欧諸国では珍しいこともない残暑のドンヨリ曇りがちの、1940年7月18日の早朝のことであった。6時少し前、表通りに面した領事館公邸の寝室の窓際が、突然人だかりの喧(やかま)しい話し声で騒がしくなり、意味の分からぬわめき声は、人だかりの人数が増えるためか、次第に高く激しくなってゆく。で、私は急ぎカーテンの端の隙間から外をうかがうに、なんと、これは大部分がヨレヨレの服装をした老若男女で、いろいろな人相の人々が、ザッと100人も公邸の鉄柵に寄りかかって、こちらに向かって何かを訴えている光景が眼に映った目」(千畝手記より)と残されていますノートえんぴつ

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千畝さんは群衆の中からバルハァフティク、ニシュリら5名の代表者を領事館の執務室に招き入れて話を聞きました耳

それは2時間にわたりポーランド脱出開始からカウナス入りまでの苦難、決死行について語り、ソ連、ついで我が国を経由して以遠の他国に移住するため[日本通過ビザ]の発給を訴えました!

外務省規約では在外公館が日本の[通過ビザ]を発給するのに、本省に問い合わせて許可を取る必要はないことになっています。

行き先の入国許可があり、十分な旅費と滞在費、入国費、国籍証明書ないしパスポート(旅券)があれば現地公館の責任者である千畝さんの裁量で発給できました。

しかし、ナチスに追われてリトアニアに逃げてきたユダヤ人は、国籍証明書も行き先国も渡航費もない、条件不備の避難民が多すぎました。

そのために千畝さんはユダヤ人に次のように告げています。

「諸氏のおかれている境遇はよく分かった。極めて同情に値する。で、自分に与えられた権限、ないし守らねばならない規定、及び常識の許す範囲内で、極力援助してあげたいが、何分大人数のことゆえ、単なるトランジットとはいいながら、公安上の見地からも、上司、すなわち外務大臣に向かって伺いを立てて、おだやかに事を処理していきたい。」(杉原手記より)

そして千畝さんは本省に対して特別に規則を緩和して、この非常事態に対処してくれるように電報で依頼しました。

電報は7月18日、22日、打電しましたが22日、24日と回訓を受け「大集団の入国は公安上、内務省当局を初めとして、旅客安全取扱上からも、敦賀とウラジオストク間に連絡船を運航している船会社からも反対している」と特例ビザは拒否されていますNG

また23日には松岡新外務大臣から「ユダヤ避難民に対しても渡航規則通りにビザを発給するよう」ベルリン経由で所轄の在外公館に訓令がでました。(28日にもリトアニアの状況を伝える電報野中でユダヤ人の窮状を訴えています。)

さあ、千畝さんは悩んでしまいましたわからん

「仮に本件当事者が私でなく、他の誰かであったのならば、百人が百人、拒否の無難な道を選んだに違いない。なぜか?文官服務規程というような条例があって、その何条かに縛られて、昇進とか馘首が恐ろしいからである。私はこの回訓を受けた日、一晩中考えた。家族以外の相談相手は一人も手近にはいない。兎に角、果たして浅慮、無責任、我武者羅の職業軍人の対ナチ協調に融合することによって、全世界に隠然たる勢力を有するユダヤ民族から、永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備とか公安上の支障云々を口実に、ビーザを拒否してもかまわないというのか?それが果たして国益に叶うのだというのか?」(「杉原手記」より)

もし日本領事館が対処しなかったならば、ここに集まってきたユダヤ人は助からない。しかし外交官に与えられている渡航条例の範疇を超えることはできない。法よりも人の命が重い、人道的義務は政府の渡航規則に優先するのではないか?千畝さんは煩悶し続けました。

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この時の千畝さんを夫人の幸子さんは「歌集・白夜」の中で「ビザ交付の決断に迷ひ眠れざる夫のベッドの軋むを聞けり」と詠っています。

またまた長くなってしまいました雫

次回は、杉原千畝さんの出した「決断」についてお話ししたいと思います上向き矢印

今回の出展は、杉原千畝記念館展示のほか
 1.「真相 杉原ビザ」渡辺勝正 (大正出版)





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最終更新日  2013年02月13日 14時33分09秒
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