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2017年08月14日
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カテゴリ:八百津 歴史 
今日の担当は、最近老眼が気になりだした筋トレ馬鹿ですちょき

八百津町の山里、久田見地内の県道沿いにひっそりと慰霊碑が建ってます!!
約35年前、小学生だった私は、曾祖母に歩いて連れられてきたことがあります歩く人歩く人その道すがら曾祖母は「昔、ここに飛行機が墜落して兵隊さんが2人亡くなったんだよ」と教えてくれました!
1.jpg
お盆に帰省したおり、ふと曾祖母との会話を思い出し再訪してみました歩く人歩く人
行ってみると草が覆い茂り、苔に覆われた石碑の碑文は判読できず、最近は人の手が入っていないように感じました!

史実を地元の郷土史家が編纂した郷土史資料「久田見の昔をかたり伝えて」により確認したところ、昭和7年6月28日、午後8時40分頃、各務原飛行場から飛び立ち東濃地方を夜間訓練中、乱雲と濃霧により航路が分からなくなり、迷走旋回し、緊急着陸地点が見つからぬまま山中に墜落し、大破炎上したそうです炎この飛行機の操縦士、埼玉県出身の磯田幾三郎少佐(25歳)と、和歌山県出身の山本政治少佐(24歳)は残念ながら殉職されたと記述がありました!

事故後、すぐに地元において慰霊碑建立の話しがまとまり、事故から約2ヶ月後の8月24日には建立され、それ以来地元の老人会で清掃活動などをして大切に保存されてきたそうですが、高齢化により最近は何にも出来なくなったと、90歳になる祖母が言っておりましたしょんぼり
 
事故が起きた昭和7年というと、その前年に満州事変が勃発し、日中戦争そして太平洋戦争へと突入する不穏な空気漂い始めた頃です!
それから85年が経ち、荒れ果てた慰霊碑の前に立ち、時代の流れとともに人々の記憶から忘れ去られ風化しようとしていることに、時代の流れの一言で片付けることへの抵抗を感じながら、平成生まれの娘と共にそっと手を合わせながら先人に思いを馳せ、平和について考えましたピンクハート
そして、「昔、ここに飛行機がね・・・」と、曾祖母に教えてもらったことと同じ事を娘に語りかけたのでしたハート(手書き)
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最終更新日  2017年08月14日 17時08分56秒
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