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2008.07.29
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 自分の身近な人でアフリカ滞在経験のある人が数人いる。
 アフリカと言っても、実に多くの国がある。貧しくて紛争が絶えない感じの国が多い様に思っている人が多いが、そんなことはない。
 私の高校の時の同級生は、仕事の関係で、モロッコに数年いた。彼は(アラビア語は苦手の様だが、フランス語でカタコト話していたみたいだが)、「モロッコ、日本とあまり変わらないヨ」と言う。
 大分県立津久見高校に来ていた(アメリカ人の)AETの私の英会話の先生は、ガーナの大学に1年間いた。「時間が止まっていた。太陽が上がれば起き、沈めば寝る。時計なんて、単なるアクセサリーで、あっても見ていない。初め時間通りに大学に行ったら、誰もいなかった。食べ物は、直ぐに大きくなるので、飢え死にする人なんていない」と言われていた。
 職場が同じある技師さんの息子さん、現在、青年海外協力隊のメンバーとしてザンビアで働いている。父親、近日中に、息子に会いに現地に行くとのこと!!(帰ってからの話が楽しみ)
 私の身内の一人が1カ月、タンザニアに滞在していた。ちゃんとした西洋式のトイレがあり、特に不自由はしなかったけど、たいくつだったとのこと。
 私が教わったアラビア語の先生(父親がアラビア語の先生で、彼は、高校時代にエジプトで過ごし、その後、大分県の別府にあるAPU:アジア太平洋大学に入学していて、今は、宮崎県で英語の先生をしている・・・つい最近、連絡を頂いた)は、コモロの出身だった(それまで、私は、コモロなる国の名前も知らなかったが。コモロは、マダガスカル島とアフリカ大陸の間にあります)。
 アフリカ独自の文字が今も使われるケースは、極めて少ない。持つと言う動詞がない。皆、共有って感じだ。太った人が美人として男性から寄って来られる。一番の価値観は、子ども。一夫多妻系で、沢山子どもを産んだ奥さんが、自信に満ちた顔をしている。人なつっこい。自分たちがお腹が空いていても、食べれと言ってくれる。(って感じで、聞いていましたが・・・)
 私がしているフォスターペアレントの子どもの国は、初めケニアだったが、今は、ブルキナファソで、時々、英語とフランス語で、子どもの経過が送られてきている(10年以上前から)。

 平成20年7月27日(日)の22:00からの「世界ウルルン滞在記」で、演出家の宮本亜門(50)さんがアフリカ・ケニアのサバンナで、狩猟と農耕を営む少数民族、ニケボトク族の生活を体験していた。
 日本を出て丸2日。飛行機と車を乗り継いで辿り着いたのは、総勢108人のニケボトク族が暮らすロクワル村。村長のエディチェンさんのお宅にホームステイすることになった宮本さんは、スイカやとうもろこしの粉で作る主食"ウガリ"で歓待される。
 干ばつのため畑の作物は実らず、野生動物は近くの保護区に逃げ込むため猟の獲物もわずかで、食料が底をついてしまう。宮本さんは村人とともに野ウサギの追い込み猟に参加するが。
 そんな状況に、宮本さんが立ち上がる。村人たちに呼びかけ集会を開き、食糧を得るために出来ることを皆で話し合おうというのだ。議論の末、水を撒くのが楽な川の中州の土地に、共有の畑を作ることに決定。宮本さんは50歳にして初めての畑仕事に奮闘する。42度の高温の中で。
 彼は、次の様に言った、「(1日に1食しか摂れない経験をして)食べ物がこんなに美味しいとは、思わなかった。心は10代だけど体力は年齢通り50歳だから、畑を耕していてもすぐ疲れる。そんな自分が本当に悔しかった。彼らが生きていくための力になりたいという思いが強かったせいか、逆に元気になって帰って来られました。死ぬか生きるかの状況でも、自然を神とあがめ、感謝し、何も恨まずシンプルに暮らす人々と出会い、これが人間の根源なんだと勇気づけられました。人間は皆、いとおしくて優しいものだと再確認しました。こんな体験ができて本当に幸せです」と。
 彼は、かって落ち込んでいた時、父親から、あるメモをもらって勇気付けられている。それには、「深く悩むには、人生は短か過ぎる」とあった。彼は、現地の言葉で話し、(スワヒリ語では、沢山の人に対しては、ありがとうは、アサンテニー、さようならは、クワヘリニーと言うのに、その言葉は全く聞かれなかった?)、現地の人と同じ生活を極力しようとしていた。それがスゴイと思った。
 今回の現地での最後に、彼は、「(目的を成し遂げて)強くなった自分を発見した、又、これから(人生の)再出発です」と言われた。
 アモーニ(亜門)、アムモーニ(出来た)!

http://www.ururun.com/top-index.htm





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Last updated  2008.07.29 11:22:35
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