偉大な継体天皇にまつわる話=私ども地域のもう一人の氏神さん
別のサイトでは、それぞれのゆかりの地を地図・写真入りで紹介しています。継体天皇の母の故郷 =私どもが住む地域をもう少し大きくみますと、隣の坂井市丸岡町には、男大迹王(おおとのおう、おほどおう=後の継体天皇)の母、振姫のふるさと-とされている「高向の宮の跡」がありますが、夫(彦主人王=ひこうしおう)と死別後、嫁ぎ先の近江国高島郡三尾から帰郷し、ここで男大迹王を養育されたと伝えられています。越の国大首長の偉大な支配力 ・ 新しい門出=男大迹王は、大和朝廷からの天皇就任要請を引き受ける58歳ごろまで、「高向の宮の跡」を中心に県内各地を移動しながら精力的に活動していたようですが、そのことは、坂井市三国町をはじめ福井県内のあちこちに数多く残る男大迹王またはその関連の伝説からも、往時の活動ぶりが目に浮かぶようです。繊維産業史と継体天皇 ・ 繊維産業史と県民性=一方、男大迹王(おおとのおう、おほどおう=後の継体天皇)が生まれた頃、5世紀中頃の古墳時代には、越前、若狭では、福井県の基幹産業の一つである繊維産業の歴史が既に始まっており、それが日本繊維産業史の中で最も古いと考えられているというような、興味深い話もあります。このような背景から、新田義貞公伝説地の新田塚町およびその周辺だけでなく、「高向の宮の跡」を中心とした男大迹王ゆかりの地も、歴史的に重要な地域ではないか-と思っています。男大迹王は私どもの地域の氏神さんともいえそうですね。 私どもの地域は二人の偉大な氏神さんに守られているような-ありがたい思いもありますが、継体天皇即位1500年を迎える(2007年)頃、興味があって学習し感動したことが今も深く心に残り、日々の生活の中で往時に思いを馳せる時間があるのは、私にとってとても幸せなことです。