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2013年08月01日
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テーマ:韓国!(16903)
カテゴリ:ソウル・釧路2013

ソウルウォーキングツアー 西村韓屋村コース に参加したソウル5日目の6月27日の続き。
ソウルウォーキングツアー

西村韓屋村コース: 朝鮮時代、中人階級や近代文学者らの生活の基盤であった景福宮西側の韓屋村
景福宮駅 - 通義洞(トンウィドン)の白松 - 通義洞韓屋村 - 通仁(トンイン)市場 - 玉仁洞(オギンドン)ユン氏家屋 - 玉流洞(オンニュドン) - 培花(ベファ)女子高 - 社稷(サジク)公園 - 景福宮駅  所要時間:2時間30分


とってもチャーミングで勉強熱心な女性、日本語文化観光解説ボランティア金さんの案内で、通仁市場(トンインシジャン 통인시장)を観て歩いたところまで書いた。 
次は、お宿のゲストハウス・イェイニネで出会ったソウルに20回以上来てるという女性Tさんが、場所がわからなかったという「玉仁洞(オギンドン)尹(ユン)氏家屋」。
玉仁洞のあたりは、朝鮮後期の1800年ごろ文人の集まりである松石園(ソンソクウォン)詩社があったところみたいや。
そこに尹 徳栄(ユン・ドギョン)が99軒の韓屋や洋館と碧水山荘というルネッサンス様式の別荘を建てたみたいや。
尹 徳栄は、1910年の日韓併合条約に尽力したと朝鮮貴族になり、朝鮮中枢院副議長や貴族院議員にもなった人。
韓国では反民族行為を行った親日派の国賊とされてる。

その敷地の入口になる石の門柱が裏通りに2つ残ってる。
1つは家の横の柱に使われ、もう一つは道の反対側に短くなって上部だけが残ってる。
ここから仁王山 (イナンサン)のふもとまで全部が敷地やったとはすごい。
尹 徳栄の弟が尹 沢栄(ユン・テギョン)で、その12歳の娘が1906年に当時皇太子だった純宗の二番目の妻として迎えられ、1907年夫の即位に伴い純貞孝皇后なった。
純貞孝皇后の実家やったとこが玉仁洞尹氏家屋(玉仁洞徐龍澤家)として残ってる。
場所は、鐘路区保健所横の軍人アパートの向かいを入っていったとこかなあ。
Google mapでうまく出てこない。
石段を上った先に立派な建物があるけど、ぼろぼろで崩れそうになってる。
「南山コル韓屋村」に伝統韓屋の1つとしてある純貞孝皇后尹氏の実家は、新しく復元したもの。建物の老朽化が進んでたので、移築はできなかったそうや。
今も数世帯が暮らしてるそうや。
帰ってから調べてみると、碧水山荘という洋館の別荘は、1917年に竣工。床面積600坪(約1983平方メートル)もあって、「漢陽 阿房宮」と呼ばれたらしい。
1941年から1945年までは、三井財閥の所有になっていたそうや。
解放後は、徳寿病院に、朝鮮戦争のときには朝鮮人民共和国庁舎や国連軍の将校宿泊施設に、そして1951年からはUNCURK(アンカーク 国連朝鮮統一復興委員会)の本部として使われてた。
1966年4月に火災がおき、2階、3階が消失。1973年に解体されたという。
ハングルやけど、このサイトに当時の画像が載ってる。
碧水山荘
西村韓屋村コースは、まだ続く。

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最終更新日  2013年09月11日 19時37分48秒
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