昨年7月9日ドイツで行なわれた「サッカーワールドカップ」決勝戦・フランス<対>イタリアの延長戦で、相手選手に頭突きを加えたフランス代表ジダンが一発レッドカードで退場となった。この試合を最後に引退を表明していたジダンだが、退場という劇的な幕切れは世界的な話題になった。このいざこざの遠因に人種差別発言があったと伝えられたが、本人が否定したりと会話のやり取りは不明である。ジダンはアルジェリアからの移民2世である。
フランス社会は移民社会であると云われてきた。19世紀終わりから人口減少に悩んできたフランスは、労働力を海外に求め積極的に移民を受け入れてきた。ヨーロッパ域内からの移民が中心だった時代には大きな問題は起こらなかったが、1970年代以後の移民問題には、「共和国は一つ」「自由・平等・友愛(博愛)」を憲法の基本テーゼとするフランス社会に深刻な問題を突きつけてきた。それは、移民の人々はフランス国籍を有し正当なフランス国民であるにも拘らず、肌の色が違うことによる社会的な差別の中で教育・就労・住居などの面で様々な不利益をこうむっているからである。アルジェリア移民2世の若者の40%に職がない。2005年11月の若者達の暴動は、フランス語を解せずイスラム教を信仰するフランス国民(共和国市民の息子たち、むすめたち)によって「人権の祖国」フランスで起きた出来事である。
人種差別、人種区別は他国でも見出される。それを解消するために、例えばアメリカ合衆国では「アファーマテイブ・アクション」という一種のクオーター制を採用してきた。その当否が全米を揺るがす社会的問題となっていることは周知の事実である。連邦最高裁によるバッキー判決は象徴的出来事である。
これに対して、フランスはクオータ制などの「アファーマテイブ・アクション」は、フランス憲法の「平等」に反するものとして認めがたいという立場をとってきた。また公教育は無宗教であることを貫徹するため、イスラム教の象徴であるスカーフを少女が学校で着用することも禁止してしまう。最近フランス社会で起きている移民の子たちの暴動に対して、多様性ではなく、出自にかかわらず「統合」を実現することこそフランス革命以来の共和国のあるべき姿と考えるからである。
アングロサクソン的な平等原則に親しんている者からすると、フランスの採る平等の考え方
は、換骨奪還した日本の姿が浮かんでくる。筆者はジョン・ロールズの「公正としての正義」などを引用して英米的な解決策を提示しているが、フランスが英米法的な平等原則を採用するとは思えず、この問題の解決のためにどんな思弁的理論、法原則をフランス社会は編み出してくるのか興味は尽きない。