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世界的規模に肥大したネット社会は、知りたい情報があれば何でも手に入る社会をもたらしました。しかし、生身の人間は自分の脳の処理能力を超えた情報に対応できなくなり、情報過多には拒絶反応を示し始めました。その結果、自分にとって都合のいい情報、耳目に心地よい情報しか受け入れなくなりました。人類は極めて狭い範囲の情報でしか物事を判断できない「象徴的貧困」に陥ってしまったのです。そして、おろかな決定が社会のあらゆるレベルで生じています。溢れかえる情報をきちんと整理し、知性を総合するにはどうしたらいいのか。活字文化の中での私なりの試みを実践してみたいと思います。
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全ての法律、特に最高法規たる憲法は国家権力を縛るために存在している。このごく当たり前というか、中学校でも習った基本的前提が、いまの日本社会では空洞化している。かの大日本帝国憲法発布の際、伊藤博文でさえそういっている。にもかかわらず、いまの日本では「へえ、そうなんですか」などとの反応に出くわす。近代社会を構成する国家の基本的前提に関する無知、無理解、忘却は、民主主義にとってまさに危機的状況である。
最近久しぶりに読んだ高書であったが、樋口さんの言説は何も新しいことを言っているわけでない。その意味では法学者は怠慢であったともいえる。これから折に触れて言い続けなければならないだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.08.15 20:12:44
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