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カテゴリ:創作物件
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目覚めてみると気持ちはずいぶん落ち着いていた。胸の中で荒れ狂っていた悔いや怒りやあきらめの気持ちが今は腹の底の方で小さいけれども重たいひとつの塊になって沈んでいる。気持ちはたしかに躯の底の方にまだわだかまっているのに、それがほどけて暴れ出すことはもうないのだ、ということがわたしには分かっていて、そこに気がついてみるとそれが不思議で仕方なかった。これをしも気持ちが落ち着いていると言うのだろうかと奇妙な感慨をもちながら、わたしは、さてどうするべきかと考えた。 この家に留まるというわけにはいかない。ほかにどこと言って行く当てのない女は、必ずや家の外のどこかに潜んでわたしがここを退去するのを見張っているはずで、わたしは、それを確信しているし、彼女がわたしのその確信について確信しているということも確信している。わたしたちは互いをそれほどに深く知り尽くしていた。だからこそ、彼女はこの日の朝、あんな形でわたしを置いてきぼりにしてこの家を出て行ったのだ。今わたしが彼女にしてやれることと言えば、一刻も早くこの家を退去すること以外には考えられない。 しかしその一方で、このまま何もせず直ちにここを出て行くのでは、あまりにも簡単すぎやしないかと思われた。それではまるで、彼女から離れることの出来る日をわたしが心待ちにしていたかのように見えるのではないか。もちろん、だからと言っていつまでもここでぐずぐずしているわけにはいかないが、それにしても、腹の底にわだかまっている気持ちの塊をこののち永く鎮めておくためにも、この場合は、ある種の儀礼的な時間を経過した後にここを去るようにするということが必要ではないかと思われた。 (つづく) →NEXT 改稿:2005年5月22日夜 仮題設定:同 改稿:2005年5月23日朝 改題:2005年5月31日夜、仮題を「たまゆらの」に変えた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年06月01日 05時06分58秒
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