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5月6日息子の付き添いで地元世界文化遺産醍醐三宝院の
国宝【唐門】勅使門 真中が豊臣秀吉花紋「五七の桐 勅使が入られるときは真中は開かれ菊の御紋でお迎え 帰られたら桐の紋が真中に治まります。秀吉の考えそう? 太閤秀吉が醍醐の花見行列をした場所 この年の夏に伏見城で逝去します
【醍醐三宝院】 勅使門 表門の側にあります。門を四面に分けますと、 菊・桐・桐・菊の紋が刻まれています。桐は「五七の桐の紋」 で秀吉の紋です。菊は「皇室の紋」で、勅使の一行が訪問する ときには、真ん中の桐の紋は、観音開きで隠れます。勅使を歓迎した意図の様ですが、閉めれば、 桐が中央に構えた形になり、豊臣を謳歌したように工夫されています。
表書院【国宝】揚舞台之間・孔雀蘇鉄の間。畳を揚げると 中段の間・上段の間は柳の四季を表し、床の間は松が画かれ、 各部屋に段差があり、能の鑑賞が出来る様になっています。
激流または、緩やかな流れと変化した表現がなされています。
「真正面」に観られます。 「阿弥陀如来三尊石」の形式を採り、【天下人石】十五代足利義昭・織田信長・ 豊臣秀吉と天下人が、引き継いで、自分の物にしたと言う名石となります。
表現しています。
雰囲気の音も聞えます。
、ねねの進言で「功績」を成す毎に「千成瓢箪」 喜んでくれずだだをこねる 主人に、瓢箪を飾ることを始めたとか
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おはようございます。内川が2000本安打、やっとトンネルを抜け出しましたね。
息子さん同伴で、今まで入れなかった醍醐三宝院へ行ってきたのですね。名石があるのですね。 今日も良い一日でありますように。 (2018.05.10 06:41:50)
ただのデブ0208さんへ
地元世界文化遺産醍醐三宝院のテイン撮影禁止が解かれたので 9年ぶり取材に行ってきました 源平合戦の馬でも渡れる瀬戸の浅瀬を教えて武士の一番取りのため 無慈悲にその場で殺された漁師浮かばれず 母の訴えで弔うことで治まったという謡曲そして平家物語の<藤戸> でした (2018.05.10 09:33:49)
おはようございます!
初めて庭園が撮影可になったのですね。 息子さんと一緒に行ってこられたのですね。 綺麗な庭園です。 土の橋の写真がすごく素敵です。 勅使門は大好きです。 豪華です。 藤戸石もしっかり見ました。 名石なのですね。 ここに落ち着いたのですね。 (2018.05.10 10:12:14)
裸足の女神2008さんへ
<おはようございます! こんにちはコメント有り難うございました。 <初めて庭園が撮影可になったのですね。 何時も同じ内容のブログ更新ですが今回は撮影が2年前に許されている情報を得て皆さんに庭園並びに名石藤戸石をご紹介出来ました <息子さんと一緒に行ってこられたのですね。 たまたま私の誕生日も有って東京から帰省して居ました <綺麗な庭園です。 丁度新緑の時季で尚更に綺麗でした <土の橋の写真がすごく素敵です。 外に石橋・木橋も有ります <勅使門は大好きです。 <豪華です。 勅使門の内側の景色も寫せました <藤戸石もしっかり見ました。 <名石なのですね。 <ここに落ち着いたのですね。 豊臣秀吉の希望通り此処に阿弥陀如来三尊石として庭園の中央に治まりました 謡曲藤戸・平家物語の藤戸があること今回勉強に成りました (2018.05.10 15:57:05)
こんばんは
息子さんはやさしい心づかいある方ですね。 撮影可能で良かったですね。 玄関 勅使門の内側 それぞれの庭園がすばらしい鑑賞できる空間に魅せられます。 今日は久々の快晴の雲一つないお天気の一日でした。 (2018.05.10 19:10:17)
はじめちゃん5053さんへ
こんばんはコメント有り難うございました。 何時も同じ画像そしてブログの更新でしたが 一箇所 従来庭園すらも写真不可が写真が許可される情報を得て 息子の付添いで貴重な映像を皆さんに見てもらうことが出来ました 中心は庭園の中央に据えられた「藤戸石」で平家物語・謡曲「藤戸」で 悲話が語られていることが勉強に成りました 倉敷市に藤戸が有るのですね 本日は晴て良かったですね 明日から暑く成るそうですお身体の健康にご留 意願います (2018.05.10 20:26:39)
こんばんは。
地元世界文化遺産醍醐三宝院へ息子さんといかれたのですね。 それにしても広い庭園ですね。 今までは、入りなかったのですね。 撮影禁止から撮影可になっていたのですね。 素敵な写真です。 (2018.05.10 22:45:43)
lemon meint 16さんへ
おはようございますコメント有り難うございました。 地元世界文化遺産醍醐三宝院の庭園写真は従来禁止でしたが 2年前から庭園は写真可に解放された情報を得て取材に行ってきました 豊臣秀吉の企画で名石【藤戸石】を中央に平家物語そして謡曲にも【藤戸】 として遺されていることが勉強に成りました 一日のアクセスが1741と日頃の3倍と興味が有ったようです (2018.05.11 09:17:17)
貴重なお写真拝見しました!藤戸石、遠くからなら撮影できるようになったようですね。
倉敷市の東京事務所に「藤戸石は浮洲岩を運んだものですか?」という質問が寄せられるようで、「実際はどうなのか」と担当者から聞かれることがありました。うーん、「醍醐三宝院の藤戸石は備前児島の藤戸寺の沖合海峡の岩礁であった浮洲岩を剥ぎ取って京都に運んだ」ということなのだろうか、、、取り敢えず「藤戸石を間近で実見できませんが一説には変輝緑石、浮洲岩跡地周辺の一帯は花崗岩と流紋岩の岩盤ですけどねー(岩質からだけ見ると藤戸岩は浮洲岩ではないという感触)」と答えています。お写真を拝見したところ遠目には「暗緑色の岩に白い石英が流れるように貫入し、確かに”変輝緑石”っぽい(まさに藤の花が散って海峡を流れる風景の如し)」です。過去の発言にちょっと責任を感じ、ひょっとして藤戸寺周辺に変輝緑石の露頭が顔を出していないか、調べてみる気になっています。 (2021.01.01 15:45:03) |