寿司と脅威
バルセロナに和食屋があった。パンやパスタが苦手なので、海外に出ると主食に困りっぱなしのわたしには、ひときわ輝いて見えた。仕事を終えてまだ開いてれば、入ってみよう。看板には「FUJIYAMA」の文字。そばに漢字でも表記されているが、よく見ると「富山山」と書いてある。ん、…ふじやまやま? ふやま、とやまやま?四股名?もしかしたら日本人の料理人が開いたのかとも思っていたが、これはこっちの人だな。日本で修行してきたのかな。その日は戻りが深夜になり、店は暗くなっていた。次にしよう。 ◆ ◆ ◆翌晩、仕事を切り上げ足早に向かった。トランクに詰めた冷たい粥は二日前に飲み干していた。温かい米さえあれば、味にもメニューにも贅沢は言わない。重いガラスの扉を開けると、照度を落とした落ち着いた店内に客はいない。黒髪の女性が奥から出てきた。「Hola」と言うわたしの発声がもごもごしていたせいか、返答があったかどうかよくわからない。日本人かとも思ったが、見るからに日本人な顔をしたわたしに話しかけてこないところから察するに、日本語の話者ではないのだろう。メニュー表を持ってきてくれた。おっ、寿司があるじゃないか。寿司の盛り合わせとおぼしき品と、みそ汁と思われる品を「ディスワン、エンドディスワンプリーズ」と言って注文した。女性は特に返答もせず、メニューを持って奥に戻っていった。女性が料理人だろうか。東洋人ふうなので中国の人かもしれない。15分ほどして、料理が運ばれてきた。 ◆ ◆ ◆平皿の上で、寿司は小さく正方形に整えられてかわいらしく並んでいた。サーモン、サーモン、サーモン、マグロ、マグロ、カッパ巻き、カッパ巻きの7貫だった。醤油はどこだろう、出し忘れかな、と見回したが、ソースが既にかけてあった。みそ汁は大きめの椀にたっぷり入っていて、れんげがついている。豆腐はとても小さく正方形に切られ、ねぎも入っていた。醤油、味噌、豆腐。どれもこちらのスーパーでは見たことがない。久々に味わって生き返るような心地でいたら、背後に視線を感じた。いや醤油は味わっていないのでソース、味噌、豆腐か。どうでもいいか。振り向くと先ほどの女性が奥からこちらを覗き込んでいた。客であるわたしからのご用命があるのかないのか気にかけてくれているのかもしれないが、何となく、なんだか、よく思われていないような感じもした。なんだろ。 ◆ ◆ ◆充電が完了したような気持ちで会計を済ませ、店を出てからしばらく考えた。おそらく中国の人がやっている店なのだろう。中心街から少し外れた、ホテルのそばのビルの一角で営まれている。こちらではほとんど目にしない和食で勝負する料理人とは。中心街ではピンチョスを出すバルやパエリア店はもちろん、中華料理も激戦区だ。和食は物珍しさで入ってくる客はいるだろうが、それほどニーズが高いとも思えない。ニッチなところでの勝負を選んだ料理人なのだろう。日本の料亭で修行、というような王道を歩めたかどうかもわからない。そんなところに見るからに日本人な客が入ってきたら、身構えるのが普通かもしれない。味の善し悪しなんかてんでわからぬバカ舌のわたしでも、和食に詳しい日本人に見えたかもしれない。和食評論家が息巻いて「どれ味見してやろう、我いざジャッジせんとす!」とついに乗り込んできたのだ、と。 ◆ ◆ ◆わたしが「うふ、寿司ってソースでも結構いけるもんですな」「みそ汁もうちょい温かくてもいいけど、味噌の香りがやっぱり落ち着くわ~」とか思いながら充電のように食を摂取していたあの40分ほどが、店の女性にとっては緊張を強いられた時間だったのかもしれない。料理をだす店で、詳しい人(権威)から料理が否定されてしまえば、生業の根幹が揺るがされることになる。実際はなんの権威もない一介のぼっち旅行者でも、見ただけではわからないわけだから、店から出ていくまでわたしは店にとって紛れもなく脅威だったわけだ。西欧の外れで顔を合わせた東洋人同士だが、極東の地政学とは逆の立場で脅威となっていた。もしかしたら極東でも脅威は逆ではないのかもしれない。どちらにせよ、こちらに一切の敵意がなくても提供者と客といういかんともしがたい力関係にあるなかで、解り合うには歯がゆい構図があったのでありました。