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カテゴリ:M氏の像 浅草橋個展へむけて
「災禍(わざわい)があればこそそこに幸運(さいわい)もよりそっており、幸運(さいわい)があればそこに災禍(わざわい)もかくれている。
この循環のゆきつく果てはだれにもわからない。 そもそもまともな基準はないのであろうか。 まともなことがひっくりかえって型やぶりに変わり、りっぱなことがひっくりかえって怪しげなことに変わる。 実はそこに真相があるのだが、人びとがそれに気づかないで迷い続けていることは、もう古いむかしからのことだ。」 「禍(わざわ)いは福の寄る所、福は禍いの伏(ふ)すところ。 孰(た)れか其(そ)の極(法)を知らん。 其(そ)れ正無きか。 正は復(ま)た奇と為(な)り、善は復(ま)た妖(よう)と為る。 人の迷える屋、其の日固(もと)より久し。」 引用:『老子』 金谷 治著 講談社学術文庫 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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